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「奇跡的に無事」天守閣に残された国重文 戻したい、あの熊本城に 復興への道のり長く

西日本新聞 4/14(金) 10:05配信

 熊本地震で傷ついた文化財を修復する動きが目立ってきた。変化が見え始めた文化財もあるが、全ての復興までには長い年月がかかりそうだ。文化財は古里の復興を目指す被災者の心の支えになる-。そう信じて活動する人々の思いを聞きながら、震災1年を迎える熊本の被災地を歩いた。

⇒【画像】復旧工事が進む熊本城。崩れた石垣の石材1900個が整然と並べられている

石垣修復へ、番号で目印

 無残に壊れた熊本城(熊本市中央区)。奉行丸と呼ばれる西側の広場に、崩れた石垣の石材が整然と並ぶ。その数、約1900個。近くの頬当(ほほあて)御門などから運ばれた。一つ一つの石の表面には「H456-17」というように、番号とアルファベットが書いてある。震災前の写真や図面を参考に積み直すための番号だ。その工程を考えれば気が遠くなるほどの石の数だが、作業着手はまだ先の話だ。

 番号から石材の落下地点が分かる。それを分析することで石垣崩壊のメカニズムが解明できるかもしれない。「再び大地震が起きても強い石垣にしたい。そのために何ができるのか、考える材料を提供したい」。熊本城調査研究センターの文化財保護主幹、鶴嶋俊彦さん(62)は言う。

 震災の1カ月後、ここで見た光景が忘れられない。頬当御門周辺の石垣は両側から崩れ落ち、爆撃を受けたかのような惨状だった。「石垣に近づきすぎないで!」。報道陣に呼びかける、市職員の緊迫した声が耳に残る。

 久しぶりに訪れると、景色は一変していた。鉄筋コンクリート造りの天守閣の復旧工事が本格化。天守閣へ続く長さ約98メートルのスロープが設置され、資材を積んだ大型トラックが上っていく。天守閣は5月の大型連休後から徐々にシートで覆われ、しばらく見えなくなる。大天守は2019年、小天守は21年の工事完了を目指す。

「奇跡的に無事だった」天守閣に残された国重文

 天守閣の中に取り残されていた国重要文化財「細川家舟屋形」も工事に合わせて搬出される。藩主細川家が参勤交代に使った御座船の一部。解体して夏までに運び出す。外傷がないことは震災直後に確認したが、木材のゆがみやズレが生じた可能性があるそうだ。

 舟屋形は、改装する市立熊本博物館の展示の目玉だ。震災で当初のスケジュールは1年遅れ、公開は18年の秋冬頃になる見通し。同館学芸員の木山貴満さん(33)は「舟屋形は奇跡的に無事だった。大切にして後世に伝えたい」と語る。

 今月から熊本城の復旧支援のため、県外の文化財専門職員2人が調査研究センターに派遣されている。その一人、仙台市文化財課の関根章義さん(35)は「被害が大きく、短時間での復旧は難しいが、東日本大震災で崩れた仙台城の石垣の復旧に携わった私の経験を役立てたい」と意気込む。

 復旧の兆しは見え始めたが、城内を見渡すと、崩れたままの石垣が多い。東側にある国重文の櫓(やぐら)群は、崩落防止のために重しで支える処置がなされただけ。石材の保管場所も不足しつつある。

 復旧の手順や工法などを盛り込んだ「復旧基本計画」は本年度末までに策定される。「天守閣は熊本城の一部。文化財の部分は慌てることなく進めたい」と熊本城総合事務所長の津曲俊博さん(60)。全面復旧まで20年。目標達成までの道のりは長い。

=2017/04/14付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞社

最終更新:4/14(金) 12:43

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