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熊本城の復興パズル 崩落石垣10万個から読み解く

日刊スポーツ 4/14(金) 10:03配信

<震度7の大地震から1年 熊本の今(1)>

 震度7が連発した熊本地震から今日14日でちょうど1年。社会面では「熊本の今」と題した連載を始め、被災地に密着したリポートをお届けします。第1回は、地震で大きな被害を受けた熊本城の復旧工事がテーマ。「武者返し」と呼ばれる美しく高い石垣が至るところで崩れ、積み直しが必要な石は推定7万~10万個。1つ1つがどこから落ちたか解き明かす作業が不可欠で、遠い道のりだが、担当職員は復興へのパズルに挑み続けている。

【写真】一部が一般開放された熊本城の行幸坂で、満開の桜と「飯田丸五階櫓」

 熊本城の北東、開かずの門に近い熊本城調査研究センター。城に隣接した建物の2階で、市文化財保護主事の嘉村哲也さん(32)はこの1年で読み解いてきた石垣のパズルを見せてくれた。「これは本丸の小天守入り口の石垣です。難しかったのは『86番』。崩落後に割れ、形が変わっていた。崩落前の写真を見ると、ほら、少しヒビが入ってるでしょ」。写真の石垣には丁寧な赤ペン文字の数字が並ぶ。1つ1つのピースへの愛情が伝わってくる。

 嘉村さんの仕事場は崩落現場だ。落ちた積石に番号を付け、石垣の表面に出ていた面の形を記録。崩落前の石垣の写真と照合し、表面の形やコケの模様などから崩落前の位置を特定する地道な作業を続けている。

 熊本城の石垣は昨年4月14日の前震、同16日の本震で2度にわたり崩落。天守閣では小天守の石垣、残った角石だけで櫓(ろ)を支える「奇跡の一本石垣」と話題になった飯田丸五階櫓の石垣、国指定重要文化財の北十八間櫓、東十八間櫓の石垣も崩れた。飯田丸の東側、備前堀の石垣は堀の中に落ちている。

 昨年度は、嘉村さんともう1人の職員2人でパズルを続けてきた。「崩落した積石は全体の1割。これを含め、積み直しが必要な積石は全体の3割にあたる推定7万個から10万個。崩落した積石で表面の形を確認できたのが7500個。元の位置を特定できたのは1000個いくかどうかです」。気の遠くなる作業だが、手作業の調査で「石垣内部の裏込石に押され、石垣の中腹くらいから積石が『く』の字のようにはがれ落ちている」という崩落の傾向も分かってきた。

 複数面の石垣が崩れ、積石が複雑に重なる現場もある。石垣の夢でうなされそうだが、大学で考古学を学んだ嘉村さんは「こういう作業は嫌いじゃないので」と笑顔を見せた。大天守は19年、全体の再建は37年を目指し、熊本市は本年度から城の本格的な復旧に入る。パズル担当も計5人に増員され、熊本大学はパズルを解くソフトを開発中だ。

 1万円以上の寄付で「復興城主」になれる支援制度には、5万3600人が参加し、計8億8000万円が集まった。「熊本城は愛されているんだなあと実感します。そんな城の研究と修復に携われるのは幸せです」と嘉村さん。復活のその日まで熊本城に寄り添うつもりだ。【清水優】

 ◆熊本城 加藤清正公により、関ケ原の戦い(1600年)のころには築城が始まり、1607年(慶長12)には完成したとされる。周囲5・3キロに及ぶ広大な城で、天守閣のほかに、他の地域の城では天守クラスの高さのものも含む櫓49棟、櫓門18棟、城門は29棟もあった。1871年(明治10)の西南戦争の火災で天守閣、本丸御殿が焼失。宇土櫓など13棟が国指定重要文化財に指定されている。現在の天守閣は消失以前の姿を忠実に再現する形で1960年(昭35)に鉄筋コンクリートで再建された。1625年、1889年などの大地震で被災したが、何度も修復を繰り返し、美しい姿を保ってきた。

 ◆熊本地震 昨年4月14日午後9時26分ごろ、熊本を震源とするマグニチュード6・5の地震(前震)が発生。益城町で最大震度7を観測した。さらに同月16日午前1時25分ごろ、M7・3の地震(本震)が発生。益城町と西原村で最大震度7を観測した。関連死を含めた死者数は222人(13日現在)。避難中の災害関連死は166人に上り、地震による家屋倒壊などで亡くなった直接死の50人を大きく上回っている。一部損壊から全壊まで約19万棟の家屋被害があり、仮設住宅などに仮住まいする被災者は4万7725人に上っている。

最終更新:4/14(金) 10:23

日刊スポーツ