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森中日はまず“壮行会”や“ラッキー号”から

4/15(土) 11:13配信

東スポWeb

【越智正典「ネット裏」】昨年、中日キャンプを見て来たOBが言った。「スタッフに話を聞こうとすると“ここじゃあーまずいですよ。スタンドで話しましょう。あそこなら大丈夫です”」。そんな落合GM時代は終わった。

 ことしOBたちの話は変わった。「40%ぐらいは明るくなったかなあー」「50%ぐらいは戻って来たかなあー。森繁和が明るくしようと心を砕いているよ」。チームは明るくなきゃあー。

 思い出した。明石キャンプが紅白戦に進んでいた1969年のその日、一軍の主球場から隣りの陸上競技場で練習中の二軍コーチ兼寮長岩本信一に伝令が走って来た。

「監督(水原茂)が外山を投げさせる。寄越してくれと言っています」。すると岩本はナインに向かって「全員集合!」。

「中隊長(岩本の愛称)、全員じゃあーないんです。外山ですよ。急いで下さい」

「やかましい! 待っとれ」。岩本は号令した。「整列! 只今から外山の壮行会を挙行する。外山博くんバンザーイ!」。岩本は三唱すると帽子を空に向かって投げた。若者たちも歓声をあげて投げた。帽子がくるくると舞った…。

 監督森繁和は知ってのとおり駒沢大の出身だが、はじめ世田谷区上祖師谷の合宿所に入れなかった。特例で、はやく入学していたので合宿所近くのアパートの上級生の部屋に預けられた。すぐに上級生に可愛がられた。さっと料理を作る。中華料理の鍋を振る様も決まっていた。

 1年生が揃うと「新人集合」がかかった。高3の夏、東京大会でベスト4に進出した駒大高の俊足外野手白鳥正志(現東都連盟事務局長)が配られた名簿を見て驚いた。投手森繁和、駒大高―。「こんなヤツ、いなかった」

 森は千葉の科学技術工で投げていたが、ボール、ストライクの判定をめぐって審判とやり合い処分を受けた。すると駒大の藤田俊訓学監がこの球児の将来を考え、手続きを整え、駒大部員としたのだが白鳥は事情を知らない。森をつかまえた。「ゴメン」。森があやまった。森は練習休みの日に白鳥らを九十九里浜で保養センターを営んでいる実家に案内した。房総の海の幸。実家が東京の白鳥がみんなでまとまろうぜと次の休日に車を用意した。海の幸をお腹いっぱい。1年生たちは白鳥の車をラッキー号と呼んだ。76年春駒大は優勝した。森は最高殊勲選手、最優秀投手。

 開幕から引分けをはさんで5連敗の中日がやっと勝った。5連敗目の広島戦はお客さんから入場料を頂ける試合ではなかった。選手一人ひとりの課題は多い。勝つ野球をやっていない。

 が、54年「男ありて」の温情監督天知俊一で日本一になったこの名門チームは、まずは“壮行会”や“ラッキー号”からであろう。 =敬称略=(スポーツジャーナリスト)

最終更新:4/15(土) 11:13
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