ここから本文です

<熊本地震1年>大学院へ新たな一歩 両脚切断危機乗り越え

毎日新聞 4/16(日) 11:30配信

 昨年4月16日の熊本地震の本震で熊本県南阿蘇村のアパートが倒壊し、学生3人が亡くなった東海大は15日、熊本市東区の熊本キャンパスで追悼の学内集会を開いた。集会にはアパートの下敷きになり、両脚切断の恐れもあった堤秀平さん(23)の姿もあった。「君たちの分まで頑張って生きるよ」。懸命のリハビリで歩けるようになり、今月、大学院で新たな一歩を踏み出した。

【1年前の熊本地震を写真特集で振り返る】

 昨年4月16日午前1時25分、就職活動の準備に追われていた、当時農学部4年の堤さんは阿蘇キャンパス近くにあるアパート1階の部屋でベッドに腰掛けていた。強い揺れで玄関横の台所に飛ばされた。気付くと、落ちたアパートの2階部分の下であおむけになり、両手両脚がコンクリート片に埋まっていた。冷蔵庫が支えになってわずかな隙間(すきま)ができたおかげで圧死は免れたが、両脚に激痛を感じた。外から聞こえた呼びかけに「脚が潰れてる」と声を絞り出した。

 台所からガスが漏れ出し、意識がもうろうとしてきた。「生きるんだ」「生きるんだ」。繰り返し自分に言い聞かせた。約10時間後、自衛隊に救助され、ヘリで熊本市内の病院に搬送された。

 長時間、体が圧迫されたため筋肉が壊死(えし)し毒素が全身に回る「クラッシュ症候群」になっていた。阪神大震災ではこの障害で多くの犠牲者が出ている。堤さんは透析や脚の筋膜切開手術を受け、3日後、ベッドの上で意識が戻った。切断は免れたが両脚は動かず、医師に「立てるかどうか分からない」と言われた。神経が損傷し、ぬるま湯につけても熱湯のように感じた。

 脚を曲げるリハビリから始めたが、思うように動かずショックを受けた。約1カ月後、手すりにつかまりながら歩行訓練を始めたが、激痛でやめてしまった日もあった。「生き埋めになった時は『負けない』という気持ちで乗り越えたのに、なぜできないのか」。落ち込んだ時、支えてくれたのは家族だった。母は福岡県吉富町の実家から駆け付け、病院駐車場で車中泊をしながら付き添い続けてくれた。

 6月に退院。実家に帰ってからもリハビリを続け、9月に復学した時には松葉づえなしで歩けるようになっていた。今年1月には自転車に乗れた。次は走れるようになることを目指している。

 東海大大学院農学研究科への進学を決めたのは、被災体験からだった。あの時、救助を待ちながら「人生で後悔したくない」と思った。自身が経験したような症状の緩和について食品の面から研究する。

 あの日、同じアパートに住んでいた2年生の大野睦(りく)さん(当時20歳)ら3人が犠牲となった。同級生の脇志朋弥(しほみ)さん(当時21歳)とは本震の数時間前までキャンパスで一緒に話していた。15日の追悼集会に続き、16日には地震後初めて、被災現場を訪れ、花を手向けるつもりだ。【金森崇之、山口桂子】

最終更新:4/16(日) 11:30

毎日新聞