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<熊本地震本震1年>亡き妻といた阿蘇に 東京からすぐ戻る

毎日新聞 4/16(日) 23:50配信

 ◇南阿蘇村の増田さん「孫の話、これからも」遺影に語りかけ

 熊本地震の本震から1年の16日、熊本県南阿蘇村の農業、増田敬典さん(79)は、妻フミヨさん(当時79歳)の遺影に向かい、そっと手を合わせた。夫婦ともに本震で倒壊した自宅の下敷きになったが、フミヨさんだけが帰らぬ人に。「こっちは元気にしとるよ。孫の話、これからも聞かせるけんね」。そう遺影に語りかけた。

 あの日、寝室で寝ているところを激しい揺れが襲った。増田さんは梁(はり)が天井から落ちてきて身動きがとれない。隣のベッドのフミヨさんを呼んだが、反応がなかった。余震の弾みで梁が動いた隙(すき)に屋外に脱出したが、フミヨさんが救助隊員に運び出されたのは、その約3時間後だった。既に息を引き取っていた。

 前日、2人は東京大学に合格した孫娘を祝いに行くため、熊本空港を訪れた。しかし、前震後の余震が頻発していたため自宅の様子が気になり、上京を断念。村に戻った。

 生前、孫娘に電話する度に「勉強ばっかりして体を壊したらいかんよ」といたわっていたフミヨさんは合格を誰よりも喜んだ。スーツケースには、収穫したもち米から作った手作りのよもぎ餅や熊本名物のからしレンコンを詰めていた。

 60年前に恋愛結婚した。息子2人を育てながら、農耕用の牛馬を飼い、稲作や養蚕に励んだ。自宅近くのゴルフ場に通ううち、いつしか九州各地のゴルフ場や温泉を巡るのが2人の楽しみに。「どこ行くにも一緒だね」と近所からひやかされる仲だった。

 増田さんは地震後、ゴルフ用品メーカーを営む東京の次男宅に避難した。次男が「一緒に住もう」と誘ったが2カ月後、増田さんは村に戻った。「東京の生活は何不自由なかった。でも妻といた阿蘇の空気が吸いたくて」

 仮設住宅に入居すると、ベッドの横に「お母さん(フミヨさん)のお部屋」と筆書きした張り紙を張り、祭壇をこしらえた。寂しくならないように遺影はいくつも並べている。

 遺影に向かい、その日の出来事や東京から届く孫たちの話をするのが日課だ。「一人でご飯を食べるのは寂しい。でも、亡くなった妻が喜ぶだろうから、元気でいるようにしている。孫の成長を見届け、それを伝えるのが今の楽しみだ」。増田さんは照れくさそうに言った。【比嘉洋、柿崎誠】

最終更新:4/17(月) 0:11

毎日新聞