ここから本文です

セツ・モードセミナー閉校前に現校長が語る「長沢節」という人生

4/16(日) 8:01配信

Fashionsnap.com

 ア ディユー(A Dieu.) さ よ な らーーー川久保玲や山本耀司といった日本を代表するデザイナーや芸術家を数多く輩出してきたセツ・モードセミナーが、そのホームページで“伝説の自由学校”の最後を告げている。創立者 長沢節の生誕から今年で100年。その功績からカリスマと称された長沢節が、セツ・モードセミナーで伝えたかったことは何だったのか。2017年4月をもって閉校することが決まった同校の軌跡と長沢節の人生を、長沢秀 現校長へのインタビューを通じて振り返る。

各界で活躍するクリエイター輩出「セツ・モードセミナー」2017年春をもって閉校

長沢節の誕生からセツ・モードセミナー閉校まで

 長沢節(本名 長澤昇)は1917年、会津若松市出身。文化学院在学中の20歳(1938年)の時に、挿絵画家としてデビュー。「スタイル画」の第一人者としてファッション業界をリードする存在となっただけではなく、エッセイストや映画評論家としても活躍した。

 セツ・モードセミナーの歴史は、前身となる「長沢節スタイル画教室」から始まった。当時、弟子入りを志願する若者が節の自宅に押しかけていたため、プライバシーを保つ手段として西塚庫男の帽子専門教室「サロン・ド・シャポー」を間借りする形で1954年6月に開校。授業は毎週土曜日の3時間のみでカリキュラムはなく、モデルを囲みデッサンをするという内容だった。デッサンには節も生徒たちと肩を並べて参加。第1期生には穂積和夫や河原淳ら優秀な人材がそろっていたことから、節はいつしか彼らと仲間になり、土曜日を心待ちするようになったという。

 3年後の1957年には、麻布笄町にある寺院境内に併設された幼稚園の2階に教室を移転。週1回だった授業を週3回に増やし、穂積和夫や河原淳らを教師に迎えた。名称を現在の「セツ・モードセミナー」に変更し、小さな教室が学校として発展していった。

 新宿区舟町にある現在の校舎は1965年に建設され、節が自ら設計を担当。この時点で学校が暮らしの中心となり、生徒との会話から性差を超越する概念「モノ・セックス」が生まれるなど「自由の精神」を伝えてきた。しかし1999年に大原でのスケッチ旅行の最中、自転車による事故により82歳で死去。甥の長沢秀氏が校長を引き継ぎ現在まで運営してきたが、節の生誕100年を機に「節先生の魂(自由の精神=セツ・モードセミナー)をそろそろ天国に送り届けてあげたい」という想いから、閉校が決定された。

1/3ページ

最終更新:4/16(日) 8:01
Fashionsnap.com