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五木ひろし「契り」秘話語る…故・阿久悠さんと初タッグからコロッケのモノマネなどで3段階進化

スポーツ報知 4/16(日) 14:01配信

 NHK紅白歌合戦で出場46回を誇る歌手・五木ひろし(69)のヒット曲「契り」(82年)。改名をへて「五木ひろし」の芸名で初めて作曲し、賞レースで何度もライバル歌手の作詞を手掛けた故・阿久悠さん(07年死去、享年70)との初タッグ曲だ。戦争映画の主題歌として誕生し、結婚式ソング、モノマネ曲と3段階で進化してきた。数多くのヒット曲の中で五木自身が『どセンターの曲』と称する同曲への思い入れを聞いた。

 「憎き阿久悠さん」との初タッグは、五木の念願だった。76年「北の宿から」(都はるみ)、80年「雨の慕情」(八代亜紀)…。阿久氏が作詞するライバル歌手の楽曲に何度もレコード大賞を阻まれていた。

 「賞レースの相手の詞が阿久先生ばかりで、本当に憎たらしかった。最強の敵だった阿久先生の詞をずっと歌いたかったので、一緒にやれる喜びがあった」

 デビュー17年の82年。2度の改名を経て「五木ひろし」名義で初めて作曲したのが「契り」。同年の映画「大日本帝国」(主演・丹波哲郎)の主題歌として曲作りを始めたが、一筋縄にはいかなかった。

 「生涯忘れられない詞です。戦場から、国にいる家族の幸せや平和を願う詞にどういう曲をつけていいか悩んだ。人間のさまざまなドラマが詰まった阿久先生の詞に負けない曲を作るのが大変で、特に最初の2行『あなたは誰と契りますか 永遠(とわ)の心を結びますか』が全く進まなかった」

 当時、戦争映画の主題歌「防人の詩」(さだまさし)、「群青」(谷村新司)などがヒット。映画音楽を作る大きな重圧を感じていた。

 「常にポケットに詞を書いた紙を入れて考えたけど1か月以上、全くメロディーが浮かばなかった。ある時、偶然帰省した福井の実家でギターを持って、ふっとメロディーが湧いてきた。古里に帰った安心感が素直な気持ちにさせてくれたのかな。東京に戻って、その先の音はスラスラ出てきた」

 苦労の末に完成させた一曲。戦場から戻った兵士が家族と再会する映画のクライマックスに使用された。

 「戦争映画なので、当時は街宣車が『契り』を流して街を走っててビックリした。最初は暗くてマイナスなイメージが強かったけど、後に曲が不思議な方向に独り歩きしていった」

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最終更新:4/16(日) 14:01

スポーツ報知