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「暗い谷底で待ち続けた晃を、まだ送り出せない」遺骨、今も手元に 熊本地震、本震きょう1年

西日本新聞 4/16(日) 11:32配信

 1年の区切りはまだ付けられそうにない。熊本地震から4カ月間、安否不明だった熊本県阿蘇市の大和晃(ひかる)さん=当時(22)=の両親は今も遺骨を手元に置いている。県の捜索が中断された時の「取り残された傷」も癒えていない。「それほど命は重いんです」。だからこそ全国から励ましの声が届き、自分たちの手で捜索を続けられた。感謝を返すため、半歩でも前へ-。本震から1年を迎える16日、自宅で一周忌法要を営む。

 朝昼晩、母の忍さん(49)は仏前に食事を供え続けている。好物だった卵焼き、めんたいこ…。「遠くに行けば、母親がしてあげられることができなくなる」。父の卓也さん(58)も「暗い谷底で待ち続けた晃を、まだ送り出せない」。一周忌に予定していた納骨は盆まで延ばそう。3月末、夫婦で決めた。

 晃さんは昨年4月16日、阿蘇大橋(熊本県南阿蘇村)付近を車で走行中、土砂崩れにのまれた。県は二次災害の恐れがあるとして、5月に入ると継続的な捜索を打ち切った。諦めきれない両親はほぼ毎日、現場に足を運び続けた。

 その間、忍さんは「母親がしてあげられること」を続けた。毎朝、おむすびを握り、谷底に投げ入れた。千羽鶴を折り、祈った。昨年7月に車体を発見。8月11日、遺体が収容された。

 その後も忍さんは晃さんの部屋で鶴を折り続けた。一緒に捜索してくれた友人ら延べ300人に感謝を形で示したい。部屋のこたつ布団もベッドも1年前のままだが、最近は鶴に「晃が次の世で穏やかに過ごせるように」との願いも込められるようになってきた。今月に入り、ようやく新しい千羽鶴が出来上がった。

 立ち止まった背中を押される出来事もあった。晃さんに婚姻届の証人になってもらったという友人が訪ねてきて、夫婦で披露宴に招かれた。被災した東海大の学生も線香を上げに来てくれた。その縁で学生たちが5月に南阿蘇村で開く追悼行事のために、農業を営む卓也さんが竹灯籠を作る約束をした。東日本大震災の被災者をはじめ、全国から激励の手紙も寄せられた。

 「晃が引き合わせてくれた。谷底で見つけられたのも、人のつながりが広がったおかげ」。卓也さんはそう振り返りつつも、捜索が遅れた悔しさは忘れていない。検証はされたのか。「今後、同じ思いをする人が出れば、晃の命が報われない」。一周忌を過ぎたら県に要請するつもりだ。

 それでもまだ「半歩」。そんな両親を支えようと、兄の翔吾さん(24)は就職先に地元を選んだ。今月、広島大大学院から熊本県内の製薬会社へ。大学4年で事故に遭った晃さんも、今春から社会人になっていたかもしれない。「晃の分まで頑張らなければと思っています」と自分に誓う。

 15日には親子3人で事故現場を訪れた。「慣れていかないといけないのかな。変わっていかないと」。晃さんが好んだ黄色の花を手向け、卓也さんは静かに語った。

=2017/04/16付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞社

最終更新:4/16(日) 11:32

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