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「これ以上のバンド組めない」 アジカン、武道館で20年の節目ライブ

4/16(日) 18:21配信

カナロコ by 神奈川新聞

 横浜で結成されたバンド「アジアン・カンフー・ジェネレーション(アジカン)」が結成20年を記念し1月に、東京・日本武道館で行ったセミファイナルの様子が19日、WOWOWで午後10時半から放送される。
 バンドは昨年11月に、13年前に50万枚以上を売り上げた自身最大のヒットアルバム「ソルファ」を全曲再レコーディングした同名盤を発売。同作を引っさげたツアーを、12月の千葉・幕張メッセから開始し、1月10・11日に日本武道館で、ことし初めてのライブを行っていた。


 「生涯これ以上のバンドは組めないと思う」

 武道館2日目のステージで、ボーカル・ギターの後藤正文(40)は1万人の前で静かに口を開いた。
 高校卒業後、生まれた静岡を離れて単身上京。新聞配達をして生計を立てていたとき、友人からオアシスやベックなどの洋楽を教わり、音楽に興味を持つようになった。

 一浪し、進学した大学の軽音楽部でギターの喜多建介(40)、ベースの山田貴洋(39)、ドラムの伊地知潔(39)と出会い、バンドを結成。途中加入した伊地知以外の3人にとっては、アジカンが人生で初めて組んだバンドだった。洋楽のカバーをする中で、コードなどを学び、後藤が自作曲を作るように。神奈川のライブハウスを拠点に、東京・下北沢や渋谷へと活動の場を広げていった。

 それから約20年。人生の半分を共にしてきた。
 バンド名が入った真っ赤な機材車が5都市をめぐったツアーでは、駐車代金を払うのも大変だったと話すインディーズ時代に生まれた「遥か彼方」を1曲目に披露。曲中、舞台後方に設置されたスクリーンでは、幾何学模様が、20年の時間を巻き戻すようにぐるぐると回転していた。

 ステージの四方を覆った白い幕に、【キミガココニツク ハイタタメイキ ナニゲナイダレカノコキュウ~】と文字が駆けた「センスレス」は、バンドが2006年、07年に初めて行ったアリーナツアーでの演出をほうふつとさせた。

 自作曲を作り始めた当時は、全て英語詞だったが、「粉雪」で初めて日本語詞に挑戦。ツアー初日の幕張では、「この曲が出来た後に、レミオロメンの(同名曲)が流行って。時代の彼方に追いやられてショックだった…。でもいいよね『こな~ゆき~』っていうフレーズ」と後藤が、友人の藤巻亮太(37)の名曲を歌い笑いを誘う場面もあった。

 「ソロもやっているけど、アジカンにはかなわねえなって。何このデタラメなエネルギーって思う。4人集まっちゃうとアジカンになる。アジカンを続けていきたい」。後藤の宣言に集まった1万人が拍手を送った。
 大ヒットした「リライト」では、つんざくような冒頭のギターで、歓声が沸き起こった。4人が放つエネルギーに、1万人が拳を上げる。最前列で叫んでいた10代の男性は、「腹が立ったとき、叫ぶゴッチ(後藤)の声を聞くとスッとする。ゴッチの声に前を向く力をもらっている」と額に吹き出した汗を拭った。

 アンコールでは1人で舞台に戻ってきた後藤が、アコースティックギターを奏でながら「ソラニン」を歌った。「曲を作るときはいつもひとりぼっちなんです。誰かに聞かせるまでは、不安もあるし、自分だけの宝物みたいな気持ちもあって。メンバーに(出来たと)メールして、返信がないと、『お前らだけは、分かってくれよ!』と怒っちゃったりもする」と思いを打ち明けた。

 ストリングスを従えた「さよならロストジェネレイション」では、冒頭、「撮っても良いよ」とファンにスマホなどを使った撮影を許可。歌詞の全てをスクリーンに映し出した演出では、4人の姿と共に、言葉が切り取られた。

 終演後、写真を見返していた30代の女性は、「“何もないです”とすねず、自分の意思で“この檻を出よう”と、背中を押された」とスマートフォンを胸に抱いた。

 山梨から来た30代の男性は、「毎日繰り返される日々を生きていて。忙しいと言い訳をして、大切なことを忘れてしまいがち。でもゴッチが、音楽の中で種をまき続けてくれているから、アッ!と気がついて、水をやらなくちゃと思う事が出来る。これからも音楽で僕たちを元気にして欲しい。20年、30年と頑張って」と思いを込めていた。