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震度7が2度の益城町住民「活断層との共存」に複雑

日刊スポーツ 4/16(日) 10:21配信

<震度7の大地震から1年 熊本の今(3)>

 熊本地震で昨年4月14日の前震、同16日の本震と、2度の震度7を記録した熊本県益城町。その中でも杉堂地区は布田川断層の真上に位置し、集落が大きな被害を受けた。「活断層との共存」を復興計画に打ち出した同町だが、実際の住民はどう感じているのか。家屋が全壊した被災者に聞いた。

 谷の間に挟まれるように、ひっそりと瓦屋根の家々が立ち並ぶ杉堂地区。熊本空港からわずか約2・5キロの距離にある。古き良き日本の集落だったが地震を境に姿を変え、1年がたった今もなお、倒壊家屋が解体されずに残っていた。

 地震の1週間前、矢嶋あつみさん(60)は父斉さん(90)と「断層があるけ、いつか地震は来る」と話していたという。「まさか本当に来るとは」。斉さんも「90年間こんな地震は来たことがない」と話した。ハザードマップで知らされていても、いつ来るか分からない地震に対処することはほぼ不可能だ。

 全壊した母屋は今月5日にようやく解体工事が始まった。人手が足りず、いつ倒壊してもおかしくない建物内の掃除を、矢嶋さん自ら行った。今は父と倉庫を改造して暮らしている。

 「活断層と共存」という考え方について「確かに怖い。震度3、4でもドキドキする。でも他のところに住もうとは思わない。また一からやり直し」と複雑な思いを語った。

 集落の入り口から一番奥の高台に上ると、鎌を持ち、庭先の草むしりをする山内誠一さん(68)がいた。

 自宅は全壊。裏山は大きく崩れ、大雨が降れば土砂災害につながりかねない。なぜそんな場所を手入れするのか尋ねると「ここが好きだから雑草を取ってる。でなきゃ来ん。住み慣れたところが一番だ」と笑顔で語った。山内家は明治時代から代々、杉堂に住んできた。「集落がなくなってしまった。80軒ほどあった家は今、10軒ほどしか住んでないだろう」。

 1年前。14日の前震では自宅は倒れなかったが、停電のため避難した。それが奏功。本震時は倒壊した自宅にいなくて済んだ。3日後、がれきや土砂でふさがった道を必死に上ると、姿を変えたわが家が目に入り、涙が止まらなかった。

 今は仮設住宅に妻と2人暮らし。「仮設住宅の2年間が終わったら復興住宅に入ろうと思っているけど、それすら造られるか分からん。先が見えない不安が強い」。高台から見える崩れた瓦屋根とブルーシートが目立つ故郷に、桜だけが地震前と変わらず咲いている。もう戻れないと覚悟していても、未練は捨て切れていない。【三須一紀】

 ◆益城町の被害 熊本地震では4月14、16日ともに震度7の激震を観測。建物が倒壊するなどして死亡した直接死が県内最多の20人、避難生活で体調を崩すなどして亡くなった関連死を含め計37人が犠牲に。住宅も6000戸以上が全半壊した。

最終更新:4/16(日) 10:21

日刊スポーツ