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約束の映画、晃の券も一緒 熊本地震、犠牲になった友へ

朝日新聞デジタル 4/17(月) 0:56配信

 自宅の部屋に飾られた1着のジージャン。西川真生(しんせい)さん(23)は毎晩、寝る前にじっと見つめる。目に浮かぶのは、愛用していた友の姿だ。

【写真】大和晃さんの遺影とともに今年3月にもらった特別学位記(「卒業」の証し)が置かれていた=9日、熊本県阿蘇市、福岡亜純撮影

 熊本地震の本震から1年の16日、本震で起きた土砂崩れに巻き込まれ亡くなった大和晃(ひかる)さん(当時22)の一周忌法要が熊本県阿蘇市で営まれた。西川さんも参列し、「元気にやっているよ」と手を合わせた。

 1年と1日前、4月15日の夜。熊本市東区の西川さんの自宅を晃さんが訪ねてきた。前日の前震で、西川さん宅は壁にひびが入り、水が出なくなっていた。

 晃さんからはすぐに「大丈夫?」とLINE(ライン)で連絡が来た。状況を知った晃さんは、2リットル入りの水のペットボトル6本を、阿蘇市の自宅から車で届けにきた。2人でファミレスに出掛けて食事をし、帰りの車内では恋の話や公開を控えた映画の話題で盛り上がった。

 「映画、一緒に行こう。またね」。自宅まで送ってくれた晃さんと約束し、いつもの笑顔と黄色い車を見送った。

 その1時間後。本震が襲った。前震のときにはすぐに来た連絡がない。携帯にかけてみたが、通じない。晃さんの母忍さん(49)と初めて電話で話した。「晃くんは帰ってませんか? 携帯も通じない。どこかに避難して携帯の電池が切れたのならいいけど」

 晃さんは自宅に戻っていなかった。もしかして。不安が胸をよぎった。あの時、もっと長く話をしておけば……。罪悪感のような感情がどんどん膨らみ、抑えられなくなった。

 電話で話しながら、その気持ちを察した忍さんは「自分を責めないで」と声をかけた。

     ◇

 益城(ましき)町の中古車販売店で働く西川さんは5年前、高校の同級生だった寺田舟希(しゅうき)さん(23)を通じ、晃さんと知り合った。寺田さんは熊本学園大に入学し、講義で晃さんの隣に偶然座った。人見知りでおとなしい性格同士。すぐに打ち解けた。

 食事にドライブにボウリング。社会人と学生で立場は違っても、3人はいつも一緒だった。だが、本震後、晃さんの行方はわからないままだった。

 続いていた地上での捜索を、県は5月に中断。両親はあきらめることなく、現場に通い、晃さんの姿を捜し続けた。

 その姿を西川さんは報道で知る。命に代えても息子を見つけたいという執念に心を打たれた。自分も現場に行きたい。だけど、どんな顔をして両親に会えばいいのだろう。気持ちは揺れ続け、足を運べなかった。

 7月24日、谷底で黄色い車体の一部が見つかった。両親から「県が捜索を再開する」という連絡を受けた西川さんは寺田さんと8月9日、現地で捜索を見守った。晃さんの両親とは初対面。忍さんは「ありがとう」と、熊本市から来たことへの感謝を伝えてくれた。晃さんの遺体はその2日後に車から出された。

 8月21日に営まれた葬儀のとき、2人はスマホに入っていた3人一緒の写真を両親に渡した。その後も月命日に近い休日には大和さん宅に通うようになった。自分たちが知る晃さんのことをすべて伝えた。「お兄さん(翔吾さん)が大好きでしたよ」「ジージャンを買おうと思っていたら、あげると言ってくれたんです」

 晃さんの父卓也さん(58)は「晃は、いい友だちといたんだ」と感じた。

 9月、2人は晃さんと約束していた映画を見た。買ったチケットは3人分。1週間後、晃さんの分のチケットとパンフレットを両親に届けた。パンフレットをめくりながら、忍さんは涙を流した。

 今年2月、晃さんの友人の結婚式で4人が顔を合わせた。晃さんのいない大学を寺田さんが退学し、働き始めたと両親は知った。忍さんは残念がったが、卓也さんは「それはそれで良かたい」と声をかけた。

 卓也さんの頭には、晃さんとのやりとりが浮かんでいた。4年で卒業できそうにない息子に「頑張らんでどうすっとや」。地震後「本人なりに頑張っていたはず。もう少し話を聞いてやれば」と悔やんでいた。

 西川さんらが訪れたある日、卓也さんは、晃さんの部屋からジージャンを持ち出してくると、西川さんに渡した。卓也さんの目には、西川さんが明るく振る舞いながらも、時折つらそうな表情を浮かべているように映る。「気持ちを抑えようとするところが晃と似ている」

 まるで息子のように接してくれる2人に、西川さんは救われていると感じる。今はもう、ためらいはない。この日も、寺田さんと一緒に「晃に会いに行こう」と阿蘇に向かった。(奥正光、後藤たづ子)

朝日新聞社

最終更新:4/17(月) 0:56

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