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【あの時・斉藤由貴衝撃のデビュー】(2)準グランプリ「逆にそれがよかった」

スポーツ報知 4/17(月) 15:00配信

 斉藤由貴の経歴は、公式HPも始め、ほとんどが第3回「ミスマガジン」グランプリから始まる。が、その前に東宝50周年記念で開催された第1回東宝シンデレラオーディションを受けている。3万を超える応募者から沢口靖子が初代グランプリに輝き、斉藤は“準グランプリ”扱いとされている。

 10年間、斉藤をマネジメントした元東宝芸能の市村朝一(現キューブ執行役員)は振り返る。「歌のテストでダントツにうまかった記憶がある。『どうしても、あの子を取るべき』と押す声もあったが、結果的に沢口に票が集まった」。醸し出す雰囲気。華もあって歌える。演劇の才能も感じさせた。

 グランプリ発表は84年1月29日。場所は、雪の残る砧の東宝スタジオ。「3万人が何千人、何百人、何十人となり、最後の3人に選んでもらったんですけれどね」。斉藤は、映像を再生するかのように語り始る。

 「控室に、沢口さんと残されて待っていました。黙っているのも変なので『緊張するね』とか話しながら。夕日のあたる中で沢口さんを見たときの超絶的な美貌。『うわぁ、こういう人が女優になるんだ』。見とれて圧倒されたんです」

 自ら志願してこの世界に飛び込んだわけではなかった。応募したのは母。「ピリピリしてあまりにも神経質な私を家族が心配して。何か目先の変わるものを、と考えてくれた」と言い、「傲慢かもしれませんが、この仕事をどうしてもやりたいと思ったことは一度も。なので(グランプリを逃して)悔しいとか、そんな感情は本当になくて」

 世間の注目は、大型新人女優と期待される沢口に集中していた。市村は「逆にそれが良かった。これで全く違うスタートが切れると思った。女優のみだった事務所で、彼女は初めてのアイドルでした」。松田聖子、中森明菜ら当時はアイドルの全盛期。

 市村には確信めいたものがあった。インパクトを与えたラーメンのCMという映像デビューも「沢口が化粧品のCMなら、普通はまずやらないものを選びたかった。沢口と相対して進めていくのも面白い、と思えた」。

 その一方でオーディション発表時、沢口の名が呼ばれても、じっと斉藤だけを見ている一人の男性がいた。この人物抜きに、最初のブレイクは起こり得なかった。(内野 小百美)=敬称略=

最終更新:4/17(月) 15:05

スポーツ報知