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芹沢光治良(沼津出身)の小説復刻 ポプラ社から70年ぶり

@S[アットエス] by 静岡新聞SBS 4/18(火) 8:59配信

 沼津市出身の作家芹沢光治良(1896~1993年)が1948(昭和23)年に発刊した少女小説集「緑(みどり)の校庭」が19日、初版と同じ版元のポプラ社(東京都新宿区)から約70年ぶりに復刻刊行される。芹沢の少女小説の復刻は初めて。

 第2次世界大戦中や戦後間もない頃、若い女性や少女を読者に想定して書かれた短・中編6作を収録した。

 東京のミッション系女学校を舞台に女学生の心模様を描いた表題作をはじめ、学芸会でのピアノ演奏場面がクライマックスの「月光の曲」、戦場の兵隊への慰問袋送付を契機とした恋心の芽生えが主題の「櫻(さくら)咲(さ)く蔭(かげ)に」など、混乱期をひたむきに生きる少年少女の姿に光を当てた。

 編集担当の倉沢紀久子さん(60)は「初版発刊はポプラ社創業の1年後で、草創期を伝える貴重な作品の一つ」と話す。芹沢さんの四女岡玲子さん(78)=東京都中野区=が所蔵する原本をもとに、晩年を中伊豆地域で過ごした人気挿絵画家蕗谷虹児(1898~1979年)の装丁をそのまま再現した。

 「巴里に死す」「人間の運命」などで知られる芹沢が少女小説を書いたのは終戦の年の昭和20年前後に限られる。きっかけは4人の娘に読み物を提供したいという願いだった。岡さんは「家族や周辺にいた人々をモデルに書いている。短い小説ばかりだが、『真心』がテーマなのは大人向けと同じ」と在りし日の父の姿を思いやる。

 5月末まで「光治良と少女小説展」を開く芹沢光治良記念館(沼津市)では「綠の-」の原本も展示。仁王一成館長(68)は「特に若い方々に芹沢の親しみやすい一面を知ってほしい」と願う。



 <メモ>芹沢光治良 楊原村(現在の沼津市我入道)に生まれ、旧制沼津中、第一高、東京帝大を経て農商務省に入る。フランス留学後の1930年に作家デビュー。日本ペンクラブ会長、ノーベル文学賞推薦委員などを歴任した。80年、沼津市名誉市民。

静岡新聞社

最終更新:4/18(火) 8:59

@S[アットエス] by 静岡新聞SBS