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【高校野球】前田健太、平田良介、辻内崇伸…名手たちが繰り広げた大阪・新旧覇者の死闘

4/18(火) 10:12配信

Full-Count

PL学園から大阪桐蔭へ―、新旧覇者の転換点となった2004年の死闘

 3月29日、PL学園高校硬式野球部は、大阪府高野連に脱退届を提出し、受理された。

 学校創立2年目の1956年に創設された硬式野球部。甲子園での96勝(30敗・春48勝17敗、夏48勝13敗)は中京大中京の133勝(46敗・春55勝26敗、夏78勝20敗)に続く2位。春夏合わせて優勝7回も、中京大中京の11回に続き、松山商とならぶ2位タイだ。

 PL学園が初めて甲子園に出場したのは1962年のセンバツ大会だった。以後、2009年までの47年間で春夏合わせて37回も甲子園の土を踏んだ。

 昭和の時代、大阪府には「私学7強」と言われる強豪私立高校が並び立っていた。興國高校、明星高校、浪商高校(現大阪体育大浪商高校)、北陽高校(関西大北陽高校)、近畿大附属高校、大鉄高校(現阪南大高校)、PL学園高校の7校だ。

 ともに甲子園で活躍し、有名なプロ野球選手を輩出している。PL学園以外の6校は戦前に創立され、長い歴史を持っていたが、PL学園は戦後生まれた新興勢力。並みいる先輩強豪校を追い上げて、にわかに強豪の一角となったのだ。

 そんなPL学園の前に立ちはだかったのは、明星高校。1963年夏の優勝校だ。明星は夏の甲子園の予選である大阪府大会で何度もPL学園と当たった。

1963年決勝 PL学園●1-4明星 明星は甲子園で優勝
1964年決勝 PL学園●0-9明星 
1967年決勝 PL学園●1-11明星
1969年準決勝 PL学園●1-6明星
1972年準々決勝 PL学園●2-9明星

PL学園から大阪桐蔭へ、記憶に新しい2日に及ぶ死闘

 まさに明星高校は「目の上のこぶ」、当時のPL学園の山下玄彦監督は「打倒明星」をスローガンに選手を鍛え上げた。その甲斐あって、1973年準決勝でPL学園は10-0で明星を初めて破った。以後、明星には負けていない。

 そして、1978年には好投手・西田真二(のち広島)を擁して甲子園初優勝。1983-85年には桑田、清原のKKコンビで、優勝、準優勝各2回、1987年には春夏連覇を達成する。

 以後、PL学園は甲子園での優勝はなくなったが、それでも高校屈指の強豪として、甲子園で存在感を示し続けた。

 このPL学園の背中を追いかけて台頭してきたのが大阪桐蔭高校だ。1983年、大阪産業大高校大東校舎として設立され1988年に大阪桐蔭高校と改称。PL学園よりもはるかに歴史が浅い高校だ。野球部も1988年創部。夏の予選、大阪府大会でのPL学園との対戦成績は

1994年4回戦 大阪桐蔭●1-4PL学園
1996年準決勝 大阪桐蔭●6-7PL学園
1997年準決勝 大阪桐蔭〇10-9PL学園
2003年5回戦 大阪桐蔭●6-8PL学園

 1997年の準決勝では、打撃戦の末に大阪桐蔭がPL学園を破る金星を挙げたが、大阪桐蔭にとってPL学園は甲子園に向けて立ちはだかる最大の壁だった。

 そして2004年、両校は大阪府大会の決勝戦で、2日間にわたる死闘を繰り広げるのだ。

 この年、PL学園は1回戦泉尾を8-0、2回戦藤井寺工を10-0、3回戦鳳を8-0、4回戦渋谷を5-4、5回戦履正社を6-4、準々決勝大体大浪商を9-6、準決勝大商大堺を18-10で下して決勝に進出。大阪桐蔭は、この年春のセンバツに出場。夏は、1回戦能勢を11-0、2回戦寝屋川を12-1、3回戦金光大阪を9-6、4回戦池島を6-0、5回戦大阪産大附属を9-5、準々決勝大阪学院大高を9-2、準決勝北陽を6-3で下して決勝に進出した。シードのない大阪府大会で、ともに7連勝で勝ち上がってきた。

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最終更新:4/18(火) 10:43
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