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【ボストン・マラソン】大迫傑 初マラソンで30年ぶり表彰台の快挙!東京五輪に希望の光

東スポWeb 4/19(水) 11:03配信

【マサチューセッツ州ボストン17日(日本時間18日)発】低迷する日本男子マラソン界に希望の光が見えてきた。世界最高峰シリーズ「ワールド・マラソン・メジャーズ」の第121回ボストン・マラソンが行われ、男子は初マラソンの大迫傑(25=ナイキ・オレゴンプロジェクト)が2時間10分28秒で3位に入った。日本男子では1987年大会覇者の瀬古利彦以来30年ぶりの表彰台。大学時代から素質を高く評価されていた逸材が、2020年東京五輪に向けてベールを脱いだ。優勝はジョフリー・キルイ(24=ケニア)で2時間9分37秒だった。

 これまではトラック種目を主戦場にし、練習でも35キロまでしか走ったことがない男が、初マラソンで大きな仕事をやってのけた。スタートから先頭集団につき、30キロ過ぎの心臓破りの丘でいったん離されたが、34キロ手前で先頭争いから落ちてきた選手をかわして3番手に浮上。40キロまでの5キロは15分7秒とペースを上げて、その座を守り切った。

 優勝したG・キルイは2時間6分27秒のタイムを持つ実力者で、2位のゲーレン・ラップ(30=米国)はリオ五輪銅メダル。その2人からそれぞれ50秒、30秒差というのは大健闘といっていい。初マラソンの緊張に加え「トラックとはきつさが違い、40キロ過ぎからは(脚が)つりそうになった」ものの、最後まで落ち着いた走りを披露。2時間3分台の記録を持つエマニュエル・ムタイ(35=ケニア)ら実力者によるペースの細かな上げ下げにも対応した。

 早大時代は箱根駅伝などで活躍。1年だった2011年大会では1区でいきなり区間賞の快走を見せて早大18年ぶりの総合優勝に貢献した。そのスピードはトラック種目でいかんなく発揮された。14年9月に3000メートルの日本記録を更新。同10月の仁川アジア大会1万メートルで銀メダルを獲得した。

 翌15年に日清食品をわずか1年で退社し、練習拠点にしていた米オレゴン州の「ナイキ・オレゴンプロジェクト」に加入。昨年の日本選手権では5000メートル、1万メートルで2冠に輝き、トラック2種目でリオ五輪に出場した。今年2月の丸亀ハーフで自己ベストをマーク。リオの悔しさもあり、今夏の世界選手権(英国・ロンドン)を最大目標にしていると見られていた。

 そんな大迫が日本陸上界を驚かせたのが2月21日。自身の公式ホームページなどでボストン・マラソン挑戦を表明した。現時点で世界選手権のトラック種目派遣標準記録をクリアしていない中でのマラソン参戦は、世界選手権出場にも影響が出かねない。それでも将来を見据え、あえて国内のレースではなく、海外のトップランナーが集う「ワールド・マラソン・メジャーズ」を初マラソンに選んだ。

 前出の3000メートルだけでなく、15年3月には5000メートルでも日本新記録を樹立。そのスピードは、1980年代に瀬古利彦・日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(60)と激戦を繰り広げたアルベルト・サラザール氏(58=米国)が指導する「ナイキ・オレゴンプロジェクト」でさらに磨きがかかった。

 藤原正和(36=中大陸上部監督)が持つ初マラソンの日本最高記録(2時間8分12秒)には及ばなかったが、近年頭打ち気味な日本男子マラソン界にとって大きな刺激になるのは間違いない。「1本目のマラソンでいいイメージができた。次につながると思う」。東京五輪の新スター候補がボストンの地で誕生した。

☆おおさこ・すぐる=1991年5月23日生まれ。東京都出身。陸上の名門・佐久長聖高校(長野県)から早稲田大に進学し、箱根駅伝やトラック中長距離で活躍し、大学駅伝3冠に貢献。2011年のユニバーシアード深セン大会の男子1万メートルで優勝した。14年に日清食品に入社し、3000メートルで日本記録を樹立。15年春に退社後、世界選手権に出場(5000メートルで予選落ち)。世界のトップ選手が集まる「ナイキ・オレゴンプロジェクト」にアジア人として初加入した。同年に5000メートルで日本記録。16年リオデジャネイロ五輪では同5000メートルで予選落ち、1万メートルで17位だった。170センチ、52キロ。

最終更新:4/19(水) 11:03

東スポWeb