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米子城跡に「登り石垣」出土 国内5例目、中海からの敵防御か

産経新聞 4/19(水) 7:55配信

 豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で日本側の武将が朝鮮半島南岸に築いた城に多く用いたとされ、港湾防御などを狙いとした「登り石垣」が、鳥取県米子市の国史跡・米子城跡で出土し、18日、同市教委が発表した。同石垣の国内での確認は、彦根城(滋賀県)などに次いで5例目。

 同市教委が平成28年度、史跡保存整備事業の一環で発掘調査。米子城は、鳥取、島根両県にまたがる中海に張り出した湊山(90メートル)に築かれ、海城の性格を持つ。登り石垣は、湊山と西側の丸山(50メートル)の間の尾根を利用して造られていた。尾根の一部に約40メートルにわたって4段が残存。上部から多数の瓦片も見つかった。市教委は、石垣は6段以上で高さ3メートルはあり、その上に瓦ぶきの土塀があったと推測している。

 登り石垣は、尾根に築かれた万里の長城のイメージで、米子城では中海側から攻める敵に対する防御の役割があったとみられる。

 米子城は天正19(1591)年、戦国武将の吉川広家が築城を開始。慶長5(1600)年頃には約7割が完成。この間、広家は朝鮮にも従軍。このため、市教委は「広家は、朝鮮で日本の武将が造った城に着目し、築城中の米子城に登り石垣を導入したのではないか」とみている。

 現地説明会が22日午後2時から開かれる。同時間までに、湊山公園駐車場に集合する。

最終更新:4/19(水) 7:55

産経新聞