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【夢を追う】鷹匠・石橋美里さん 中世ヨーロッパの本で勉強

産経新聞 4/19(水) 7:55配信

 《幼い頃から、犬や猫など、動物に囲まれた生活を送った。父親の仕事の都合で、小学校1年生の夏休みに、タイに渡った》

 最初、犬を飼ってもらうという約束でしたが、住宅の事情で無理だった。代わりに、マーケットで見つけたタツノオトシゴを買ってもらいました。「ポケモン」のキャラクターに似ていて、一目ぼれだったんです。

 飼育は楽しかった。特に餌やりは好奇心をくすぐられました。

 タツノオトシゴの餌は、生きた甲殻類です。小さなおちょぼ口なのに、大きな餌をどんどん食べます。「どうやって食べているんだろう?」と、水槽の前でずっと観察しました。

 次にモモンガを飼いました。一方的に餌をやるだけでなく、リアクションがあり、心のキャッチボールができた、と感じました。

 タカを間近で見たのも、タイが初めてでした。

 とても大きく、びっくりしました。「モモンガ以上に、何でもできるに違いない」と、わくわくしました。

 《小学2年生の夏、帰国が決まった。検疫などで動物は手放さざるを得なかったが、日本で新たな出合いがあった》

 福岡県内に猛禽(もうきん)類を取り扱う店があると聞き、連れて行ってもらいました。何十万円もする値段にびっくりし、店では父に何も言い出せませんでした。

 でも、諦めきれなかった。

 「想像もできないような行動をとるだろう、それを見てみたい」。その夜、父にねだりました。

 家にやってきたのはチョウゲンボウというハヤブサの一種です。ハトぐらいの小さな猛禽類です。Q太郎と名付けました。本当にかわいかった。

 父にインターネットなどで、飼い方を調べてもらいました。手探りの調教でしたが、ヒモも付けずに、飛ばせるようになりました。

 しかし、別れは突然でした。4年生の冬、体調を崩したのです。近所の獣医さんに見せましたが、「分からない」と答えるばかり。

 今から考えれば、店で買って与えた餌が悪かった。でも、当時は何も分からない。冷たくなり、動かなくなるQ太郎に、何もしてやれなかった。ショックでした。

 しばらく、Q太郎ロスでした。何も飼う気になれなかった。ただ、二度とこんな思いをしなくていいようにと、獣医になりたいと思うようになりました。

 《5年生になった頃、再びタカを飼い始めた》

 Q太郎が死んだことはとても悲しかったけれど、一緒に過ごした時間は楽しかった。

 「また、あの楽しい時間を過ごしたい」。父にも相談し、新しい鳥を飼うことにしました。

 ハリスホークというタカです。和名の「モモアカノスリ」から「桃太郎」と名付けました。

 ただ、飼い方が分からない。勉強をするしかない。父の知人から専門書をもらいました。中世ヨーロッパで鷹狩りを大成したとされる神聖ローマ帝国皇帝、フレデリック(フェデリーコ)2世の本を英訳したものです。

 《フレデリック2世は、宮廷で50人以上の鷹匠を雇った。『De arte venandi cum avibus』(鷹狩りの書)と題された本は、13世紀に著され、現在の鳥類学でも通用する記述が多い》

 鷹狩りに使う鳥の習性や捕獲、飼育法だけでなく、狩猟対象の鳥の習性なども書かれていました。私は当時、英語は分かりません。それに、専門用語も多かった。

 父や、父の知人に内容を一つ一つ確認してもらい、ネットで集めた資料などと照合しました。とにかく、少しでも知りたいというモチベーションが高かった。

 例えば、羽根をぬらせばタカはおとなしくなると書かれていました。当時は口に含んだ水を吹きかけたようです。私たちは、霧吹きを使いました。

 タカを飼うために大切なことは、今も昔も同じです。飛ばし方や、調教方法も徐々に分かってきました。桃太郎は、今も一緒に活動する大切なパートナーです。

最終更新:4/19(水) 7:55

産経新聞