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「命の重さ、戒めに」=防災センター避難訴訟で原告男性―21日判決・盛岡地裁

時事通信 4/19(水) 14:13配信

 東日本大震災の発生時、岩手県釜石市の「鵜住居地区防災センター」に避難した津波犠牲者のうち2人の遺族が、市に賠償を求めた訴訟の判決が21日、盛岡地裁で言い渡される。

 出産間近だった妻=当時(31)=を亡くした原告の男性(47)は、「妻と娘の命の重さを感じ、二度と悲劇を繰り返さないよう戒めとしてほしい」と訴える。

 釜石市北部の鵜住居地区にあった同センターには、震災時に多くの住民が逃げ込み、市の調査委員会の報告書によると200人以上が亡くなったとされる。遺族側は、海に近い同センターは津波避難場所に指定されていなかったのに、市は津波避難訓練などに利用して住民を誤解させ、正しい避難場所の周知を怠ったと主張している。

 男性の妻は同センターに隣接する市立幼稚園の臨時職員で、震災当日は産休前の最後の勤務日だった。4日前に女の子と分かり、帰りの車で話し合って名前も決めた。男性は、「おなかの子にずっと呼び掛けていた名前にすぐ決まった」と振り返る。

 翌月の出産予定日を心待ちにする中での大地震発生。同市中心部の職場にいた男性も津波に襲われ、高台に避難した。連絡が取れない妻も無事に避難していると信じて、がれきが散乱する町を歩いて捜した。数日後、無言の妻と遺体安置所で対面した。

 それからは、同センターへ足を運ぶのが「生活の一部」になった。仕事帰りの夜、妻が発見された2階でたたずみ、人知れず泣いた。建物はその後解体され、跡地への立ち入りは禁止されている。それでも、「まだ妻がそこにいる感じがする。少しでも近くにいたい」と、今も頻繁に付近を訪れる。

 市側の謝罪はなく、身重の妻が職員としての責任を果たしたことが認められていないと感じる。「なぜ避難場所ではない場所に逃げなければならなかったのか」。訴訟で責任をはっきりさせ、教訓として残したいと考えている。

 娘は間もなく6歳になるはずだった。「3人でたくさん写真を撮ろうね」。妻と約束して購入したカメラは一度も使われず、箱に入ったままだ。 

最終更新:4/19(水) 14:36

時事通信