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<釜石津波訴訟>21日判決 避難場所の周知、争点に 

毎日新聞 4/19(水) 19:47配信

 東日本大震災の津波で162人の死者・行方不明者が出たと推定される岩手県釜石市の鵜住居(うのすまい)地区防災センターを巡り、遺族2組が市に計約1億8400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が21日、盛岡地裁で言い渡される。市が津波発生時の避難場所に指定していなかった防災センターに多くの人が誤って避難したとされ、正しい避難場所の周知を市が十分に行っていたかが最大の争点。司法の判断が注目される。

 原告は、センター近くの幼稚園の臨時職員だった女性(当時31歳)と、地区住民だった女性(同71歳)の遺族。2014年9月に提訴した。

 遺族側は「避難訓練でセンターがたびたび使われ、住民の多くが津波の時に避難すべき場所と思い込んでいた。市は避難場所でないと強く周知する義務があった」と主張。震災の地震発生後も「市職員がセンターに避難誘導し、正しい避難場所に誘導すべき義務を怠った」としている。

 一方、市は「実施した自主防災会の要請に応じ、やむを得ず避難訓練でセンターの使用を認めた。避難場所でないと強く周知することは自治体に過度の負担を強いる」と主張。震災当時の市職員による避難誘導も「1階に避難してきた住民を2階に誘導したに過ぎない」と反論している。

 ただ、センターの被災の原因を究明するために市が設置した学識者らによる調査委員会は、14年3月の最終報告書で「事態を回避することは可能だった。行政の適切な対応で、生命を救う機会は多くあった」などと指摘していた。【藤井朋子】

 ◇妊婦の妻亡くした原告男性 市の責任認めて

 幼稚園臨時職員だった女性(当時31歳)は、妊娠9カ月で産休前最後の出勤日に命を奪われた。原告の夫(47)は「妻と娘」の死を無駄にしたくない一心で裁判を闘ってきた。

 2010年6月に結婚。授かったのが女の子と分かり、震災前には妻と一緒にベビー服を買いに行っていた。

 6年前のあの日。男性は釜石市中心部で営んでいた美容院で震災に見舞われ、近くの高台に逃れた。翌朝、市街地から約10キロ離れた鵜住居地区へ向かうまでは、「妻もどこかに避難しているだろう」と楽観していた。

 ところが見慣れたはずの同地区の町並みは、跡形もなく消えていた。避難所や病院を捜しても妻とは会えない。数日後、遺体安置所になっていた倉庫で無言の妻と再会した。顔はきれいなままだった。

 しばらくは自宅や店の復旧に追われ余裕はなかった。半年後、妻の勤務先だった幼稚園で遺品を捜しているうちに、「なぜ津波にのみ込まれたセンターに避難し、亡くなったのか」と疑問が膨らんだ。センターの犠牲者の遺族に対し市は責任を認め謝罪したものの誠意を感じられず、法廷で争うことを決意した。

 男性は今も、妻と笑顔で納まった写真を持ち歩く。先月12日、妻との思い出を忘れまいと腰の先まで伸ばしていた髪に、震災後初めてはさみを入れた。前に進んでいきたいと思ったからだ。同じ悲劇を繰り返さないためにも、判決で市の責任を認めてほしいと願う。【小鍜冶孝志】

 【ことば】鵜住居地区防災センター

 釜石市が2010年2月に開所した。鉄筋コンクリート2階建て約1600平方メートル。海岸から約1.2キロ、標高4.3メートルにあり、津波発生時に逃げ込む「1次避難場所」でなく、中長期の避難生活を送る「拠点避難所」だった。東日本大震災では津波が高さ約9.5メートルの屋上近くまで到達して全壊。市は13年4月時点で犠牲者を210人と推定したが、16年3月に162人と修正した。建物は14年2月に解体が完了した。

最終更新:4/19(水) 21:53

毎日新聞