ここから本文です

高橋真梨子ベスト「フレンズ」に母が愛した初期歌詞

日刊スポーツ 4/19(水) 7:56配信

 昨年に芸能生活50周年を迎えた歌手高橋真梨子(68)が、ドラマと映画の主題歌を集めたベストアルバム「Dramatic Best」を5月31日に発売する。ボーナストラックには、98年に亡くなった母千鶴子さん(享年70)が愛したヒット曲「フレンズ」の初期歌詞バージョンを収録。原爆被爆、離婚、不倫…。千鶴子さんが自らの人生と重ね合わせた「修羅」の言葉が初めて音源化される。

【写真】NYのカーネギーホールで歌う高橋真梨子

 「お母さんが好きだった歌詞に戻したよ」。千鶴子さんをしのびながら高橋はこう語った。

 自ら作詞した「フレンズ」は高橋の代表曲の1つ。98年10月に発売された際、歌詞の冒頭は「きらめいてた そして 戸惑う青春だった」。95年からライブで歌っていたオリジナル歌詞は「修羅のごとく 生きた 青春の抜け殻」だった。夫でプロデューサーのヘンリー広瀬氏(73)は「女性の心を歌うバラードシンガーの真梨子さんにとって、『修羅』という強い言葉がイメージに合わなかった」と変更の理由を説明する。「どうして変えたと!」。後で歌詞変更を知った千鶴子さんは、当時、ヘンリー氏に猛烈に言い寄ったという。

 「まさに修羅のごとく生きたと思います」。高橋は母の人生をこう語る。1945年(昭20)。16歳だった千鶴子さんは広島で被爆した。「幼い弟を背負いながら、周囲の死体を踏んで走って逃げたそうです。倒れた人に足をつかまれて、『助けてください』と言われても何もできない。その光景が母にとってはまさに修羅そのものでした」。

 その4年後に高橋が誕生。だが、親子3人の幸せな生活は長く続かずに離婚。その後、千鶴子さんは妻子ある男性との不倫に走った。そんな母に、10代の高橋は反発や憎悪を募らせて冷たく当たったことも。千鶴子さんにとっては、その日常も「修羅」だった。

 高橋が母の生き方を許せたのは晩年になってからだったという。「修羅」の歌詞に戻した「フレンズ」の発売は、来年で死去から20年になる千鶴子さんへのレクイエムにもなる。

最終更新:4/19(水) 8:30

日刊スポーツ