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(朝鮮日報日本語版) 前沢和之氏「日本最古の石碑は新羅の技術で作られた」

朝鮮日報日本語版 4/21(金) 7:23配信

 「日本最古の石碑は新羅の技術で作られた」

 このところ日本では、7-8世紀ごろの古代の石碑3点をまとめてユネスコ(国連教育科学文化機関)に登録しようする動きが活発だ。現存する中では日本最古の石碑とされる山上碑(681年)をはじめ、多胡碑(711年ごろ)、金井沢碑(726年)がその主役。いずれも群馬県高崎市にあり、かつての地名「上野(こうずけ)」を付して「上野三碑」と呼ばれている。これまで日本では、三碑いずれも古代韓半島(朝鮮半島)の石碑文化の影響を受けたとだけ、漠然と考えられていた。

 文字資料の研究者で、上野三碑の世界記録遺産登録を推進する協議会の委員も務めている前沢和之氏(元・横浜市歴史博物館学芸課長)は、21日に東国大学で開かれる2017年韓国木簡学会春季学術会議で「『上野三碑』は古代韓半島の中でも新羅の石碑文化の影響を受けたもので、当時新羅から渡ってきた移民やその子孫が直接作った可能性が高い」と発表する。前沢氏は、事前に配布した「日本初期石碑の形態についての検討」という論文で、上野三碑の形態や碑文の内容などを紹介し、新羅の石碑と比較した。

 中でも711年ごろ作られた多胡碑は、丁寧に加工した碑身(石碑の本体)に覆い石を載せ、下の部分は台石にはめこむという形態が、新羅の真興王巡狩碑の一つ、摩雲嶺碑(568年)とそっくりだ。楷書体で6行80字が刻まれ、地方制度の確立に伴って立てられた石碑であることが分かる。真興王巡狩碑の中で唯一、石碑全体が完全に残っている摩雲嶺碑は、真興王の領土拡張を記念して立てられた。

 一方、私的な目的で立てられた山上碑と金井沢碑は、自然石をそのまま用いて作った石碑の形態が、新羅の慶州・壬申誓記石(552年もしくは612年)などと似ているという。前沢氏は「石碑の建立目的によって形態も変えているという点で、新羅から伝えられた知識を基に作ったものであることは明らか」と分析した。

 前沢氏は、『日本書紀』などを引用して「7-8世紀の上野には早くから、新羅から渡ってきた人々が住んでおり、共同体を形成していた。これらの石碑は、新羅人が直接立てたか、彼らと交流して技術の伝授を受けた日本人が立てたもの」と主張した。

 このほか21日の学術会議では、ベトナム国家大学ハノイ校のファム・レー・フイ教授が、ベトナムで最近発見された「陶コウ廟碑」(コウはおうへんに黄の旧字体)についての研究結果を発表する。東国大学のチェ・ヨンシク教授は「韓中日だけでなくベトナムまで含めて、中国の漢字文化圏の影響を受けた国々がどのように漢字を受容・変形させたのか、石碑を通して比較する場。古代東アジア文化交流の証拠」と語った。

最終更新:4/21(金) 9:33

朝鮮日報日本語版