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熊本ではなぜ木造仮設が可能だったのか ー 建築家・伊東豊雄の挑戦

4/21(金) 21:10配信

BUSINESS INSIDER JAPAN

熊本地震では、18万3千棟の建物に被害が及んだ。 この1年、世界的建築家・伊東豊雄は、熊本県から依頼を受け、被災者の住環境支援に積極的に関わってきた。 建築家の立場から東北の復興支援に携わった自身の経験を、伊東は熊本でどのように生かしたのか。

地震から2年目を迎えた現在、伊東は熊本独自の復興公営住宅の計画づくりに取り組んでいる。

「東北で復興公営住宅を考える際、住民から『エレベーターの回りにベンチがあるといい』といった意見が出ても、行政は『公営住宅は平等に』という意識が強いため、なかなか実現しませんでした。熊本では、そうした小さなことを改良して新しいモデルをつくれたら。まず1つの復興公営住宅で実現すれば、熊本の復興公営住宅のレベルが1つ上がります。そして、熊本でここまでできたということで、また次につなげられます」

東日本大震災後、伊東は宮城県釜石市で復興ディレクターを務めたが、提案したプランがことごとく受け入れられなかったという経験をしている。国や県の公平性を重視する「均質化のカベ」に阻まれた。 だが、熊本には東北にはなかった可能性を感じているという。

熊本県は被災者のために2016年11月までに4303戸(17年4月10日現在)の仮設住宅を提供。県内110の仮設団地では、復興に向けた日常生活が始まっている。

アートポリスが変えた熊本県の発想

伊東が熊本県から依頼を受けているのには、いきさつがある。熊本と伊東の関わりは、1988年に熊本アートポリス事業が始まって以来、今年で30年になるのだ。熊本アートポリスは、元首相の細川護煕が熊本県知事時代に始めた建築事業だ。デザイン性にすぐれた現代建築を街の文化的資産にしようと、初代コミッショナーに世界的建築家・磯崎新を迎え、国内外の錚々たる建築家たちが、橋、駅、フェリーターミナルなど、80を超える公共建築をデザインしてきた。1991年には、当時50歳だった伊東も八代市立博物館・未来の森ミュージアムを設計している。

バブル経済崩壊後は、アートポリスへの風当たりが強くなった。地元の建築家を活用しないことへの批判や、県民の支持が得にくいなど、一時期は存続さえ危ぶまれたという。しかし、後任の知事も3代にわたり事業継続を判断。伊東は2005年から3代目コミッショナーとして、「地元を巻き込む」ことを意識して取り組んできた。

そんな中で起きた熊本地震だった。そして仮設団地や復興公営住宅づくりの先頭に立ったのが、熊本県建築土木課の熊本アートポリス班だったのである。

地震発生の2週間後、2016年4月27日。伊東は県庁の会議室で 仮設団地のマスタープランをスケッチしていた。

「棟の間隔を広くしました。東北では4メートルだった間隔を、5.5メートルまたは6.5メートルに広げ、仮設住宅3棟ごとに1本縦通路をとることにしました。東日本では6棟ごとに1本でした。ゆとりのある配置は、熊本の仮設住宅の進化です。自宅から狭い仮設住宅に移り住んだ心理的圧迫感は、これだけでもだいぶ軽くなります」

この基本プランは、全ての仮設団地に適用された。

伊東とアートポリスが実現した仮設住宅の新しい取り組みはほかにも2つある。

1つ目は、仮設住宅50戸ごとに集会所「みんなの家」を建てたことだ。合計110の仮設団地に84棟の「みんなの家」がつくられた。東北では、仮設団地の設計段階から集会所が計画に組み込まれたケースはない。

2つ目は、従来の仮設住宅は鉄骨やプレハブであるのに対し、全仮設住宅戸数の15%、合計683戸を熊本県産の木材を使った木造にしたことだ。

「アートポリスがあったから、自治体からこういう発想が出るのです。同じ災害がほかの都道府県で起きていたら、東北と同様の無機質な仮設がつくられていたに違いありません。アートポリスを続けてきた成果です」

熊本県は、東日本大震災の被災地に対し、伊東を通じて建物による被災地支援をしている。

現地で災害復興に携わっていた伊東は、無味乾燥な仮設住宅の環境でも暮らしを楽しもうとする人たちの姿を見て、人々が集う場として「みんなの家」と名づけた集会所を建てようと考えた。

伊東は震災直後の2011年5月、熊本アートポリスの定例会議の場で、ダメもとで熊本県にスポンサーになることを提案する。すると趣旨に賛同した知事・蒲島郁夫が、アートポリス初の県外事業に認定したのだ。熊本県が寄付した木材と工費600万円により、「みんなの家」の1つ目が仙台市宮城野区の仮設住宅に贈られた。

「東北では人が集まる場をつくることの意味を、行政が理解しなかった。それで、1つずつお金を集めて6年がかりで15棟をようやく建てた。熊本県のアートポリス班の職員は、仙台の『みんなの家』の竣工式に出席して、被災した人たちがあたたかみのある集会所をどれほど喜んでいるかを実感しています。それが、熊本が被災した際に、行政主導で仮設団地に『みんなの家』を計画することにつながったんですね」

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最終更新:4/21(金) 21:10
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