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【各紙論調比較】教育勅語、やっぱり産経は肯定、他紙は批判

4/27(木) 18:00配信

ニュースソクラ

産経以外は戦前天皇制との関係に着目

 教育勅語をめぐる議論が騒がしい。国有地の安値払い下げで問題になった学校法人「森友学園」の幼稚園が園児に唱和させていたことが話題になり、安倍晋三内閣は学校の教材として扱うことを「否定されない」という答弁書を示した。「戦前回帰」との批判が出ている。新聞各紙も社説(産経は「主張」)で一斉に論じているが、勅語肯定の産経が際立っているほかは、安倍内閣支持の論調が目立つ読売も批判的だ。

 まず、この間の動きを確認しておこう。森友学園問題がクローズアップされていく中で、同学園が運営する塚本幼稚園(大阪市)の園児が教育勅語を暗誦し、軍歌を歌う映像がネット上に出回り、テレビでも放送された。

 これを受けて国会でも議論になり、稲田防衛相が3月8日の参院予算委などで、「親孝行や友達を大切にするといった核の部分は今も大切だ」「道義国家を目指すべきだ、という精神は取り戻すべきだ」などと答弁した。

 安倍内閣は3月31日、教育勅語を教材として使うことについての質問主意書に対し、「我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切だ」とした。その一方で、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」などとする答弁書を閣議決定した。

 これに関連し、菅義偉官房長官は勅語を道徳教育に使うことも「否定できない」と述べた。さらに、義家弘介・文部科学副大臣は4月7日の衆院内閣委員会で、教育勅語を幼稚園などの朝礼で朗読することに「教育基本法に反しない限りは問題のない行為であろうと思う」と答弁した。

 歴史的な経緯も押さえておくと、そもそも教育勅語は明治天皇の勅語(命令)として、1890(明治23)年10月に発布された。その写しは御真影(天皇の写真)とともに各学校の奉安殿に納められ、学校で儀式が行われる際に校長が全校生徒に向けて読み上げるなど丁重に扱われた。

 第2次世界大戦の敗戦、1947(昭和22)年の新憲法施行、教育基本法公布・施行を経て1948年6月、衆議院で「教育勅語等の排除に関する決議」、参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」がそれぞれ可決され、学校教育から排除された。

 ただ、戦後も教育現場での勅語の扱いが問題になることはあり、例えば中曽根康弘内閣時代の1983年に私立高校の行事で校長に合わせて生徒に教育勅語を朗読させていることが国会で取り上げられた。瀬戸山三男文相(当時)は「今日でも人間の行い、道として通用する部分もあるが、勅語の成り立ち、性格からいって現在の憲法、教育基本法のもとでは不適切だという方針が決まっている」などと明快に答弁している。

 以上を踏まえて、各紙の論調を比較してみよう。
 
 先ず、教育勅語肯定派の産経(4月11日、http://www.sankei.com/column/news/170411/clm1704110002-n1.html)を見よう。

 <(教育勅語にある)徳目には、時代を超えて流れる教育理念として、改めて読みとるべきものも多い。不当な評価は見直すときである>と、勅語に列挙される親孝行などの重要性を指摘。

 現行の中高の歴史や倫理の教科書の勅語の記述について<天皇中心の国家観を支え、戦中に戦意高揚に使われたなどと、批判的に位置付けるものが少なくない>と不満を表明。

 <歴代天皇と国民が心を一つにして、祖先が築いた道徳を守ってきた。そういう日本の美風に言及しながら、この国柄こそ教育の源だと説いているのである><批判の的となるのは「一旦緩急アレハ」と、義勇奉公を説く文言だ。国の危急のとき、国民がそれぞれの立場で一致協力するという意味に尽きる。

 戦後日本で置き去りにされてきたことに、目をつむってはなるまい>など、教育勅語を肯定的に教えるべきだと訴えている。

 これに対する朝・毎・東・日経の各紙は、「教育勅語の学校教材活用 負の歴史しか学べない」(毎日、4月5日、https://mainichi.jp/articles/20170405/ddm/005/070/043000c)、「教育勅語 復権など許されない」(東京5日、http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017040502000140.html)、「教育勅語は道徳教材に使えぬ」(日経9日、http://www.nikkei.com/article/DGXKZO15091960Z00C17A4EA1000/)、「教育勅語 憲法とは相いれない」(朝日11日、http://www.asahi.com/articles/DA3S12885158.html)、と、教育現場での使用を批判する立場を鮮明にしている。

 各紙が問題にするのは、
(1)<勅語は大日本帝国憲法の下、天皇を君主、国民を臣民とする国家観を補強する目的でつくられた規範><個々の徳目の当否以前に、天皇が臣民に説諭する「語りの構造」自体が、国民主権を原理とする現憲法になじまないことは明白>(日経)、<憲法が定める主権在民とは相いれない>(朝日)という性格

(2)<天皇制の精神的支柱の役割を果たし、昭和期の軍国主義教育と結びついた歴史>(東京)があり、<国家主義を支え、軍国主義を推し進める役割を果たし>(毎日)、<同じ明治期にできた軍人勅諭と共に、戦時中は国民を総動員体制に駆り立てる支えともなった>(朝日)という歴史的役割

(3)内容として、徳目などを評価する声に対し、<教育勅語の核心はこうした徳目を実行することで「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運」(永遠の皇位)を助けよ、と要請し、国の非常時には天皇のために命を懸けよ、と説いている点にある>(毎日)――といった点だ。

 さらに、教育現場で使うことに関する政府の曖昧な態度も各紙そろって問題視している。
日経が<学校現場を預かる松野博一文部科学相が、「道徳を教えるために教育勅語のこの部分を使ってはいけないと私が申し上げるべきではない」との認識を示したことには違和感を覚える>
毎日は<政府が道徳での活用を否定しない態度はとりわけ問題だ。……それがどう使われたかの歴史的文脈を無視するような姿勢は、新憲法により天皇中心の国家観を否定し、国民主権となった戦後の日本の歩みに逆行しているかのようだ>
東京は<とりわけ道徳教育では持ち出すべきではない。……「憲法や教育基本法に反しない形」で、教材として使うのはおよそ不可能である>などと疑問視している。

 今、なぜ教育勅語か、という「狙い」にも目を向けている。
毎日は<「適切な配慮」の定義もあいまいだ。解釈が広がるおそれがあり、教材としてお墨付きを与えることにつながりかねない。……政府として活用する考えはないというが、ならばなぜ全否定をためらうのか>と政府の意図をいぶかる。
朝日は<解せないのは、では憲法や教育基本法に反しない形での活用法とは何なのか、政府が具体的な説明を避けていることだ。……「負の歴史」として教材にする以外に活用の仕方は考えにくい。それを明言したくないから、説明を避けているのではないか>と切り込む。
東京は<自民党は復古的な憲法改正草案を掲げる。戦前の価値観を志向するような閣僚ぞろいの安倍政権が唱える教育観には警戒したい>と、戦前回帰的な全般的な状況に強い懸念を表明している。

 読売(「道徳教材としてふさわしいか」4月6日)も批判的立場だが、安倍政権に好意的な部分も隠さず、批判派の4紙に比べると及び腰だ。

 答弁書が「国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切」と否定的に書いている部分を先ず取り上げて、<政府がこれまでに表明していた見解に沿っている>と評価。

 そのうえで、答弁書が「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」と言及していることに、<日本の大きな転換期だった明治から昭和期にかけての歴史を学ぶ教材として、教育勅語を用いることは、何ら問題がないだろう>と、批判を抑えた書きぶりだ。

 続いて、<道徳などで教育勅語を規範とするような指導をすることは、厳に慎まねばならない>と問題点の指摘に移る。ここでは、<天皇中心の国家観が、国民主権や基本的人権を保障した現憲法と相容れないのは明らかだ><教育勅語を引用しなくても、これら(親孝行や夫婦愛などの徳目)の大切さを教えることは十分に可能だ>など、現憲法と相入れない勅語の性格、内容の問題点を指摘している。

 ただ、<菅官房長官が「政府として積極的に教育現場で活用する考えはない」と強調したのは当然だ>と、批判回避を図る政府を「援護射撃」する形になっている。他の批判各紙のように、この時期に、こういう答弁書を出した意味の分析などには踏み込まず、文言上の政府の見解の解説に終始している点に安倍内閣への「忖度」を感じると言ったら、うがち過ぎだろうか。

長谷川 量一 (ジャーナリスト)

最終更新:4/27(木) 18:00
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