ここから本文です

世界で最もクールで価値あるブランドに成長した「ナイキ」の歴史と未来

5/1(月) 12:10配信

BUSINESS INSIDER JAPAN

スニーカーカルチャーに最も貢献したブランドが「ナイキ」であることに異論を唱える者はいないだろう。

同社はランニングとヒップホップとストリートウエアをつなぐ世界観を作っただけでなく、アスリートを神格化し、アメリカ人がエクササイズに対して持つ意識までも変えた。

50年以上前の創業時から一貫してアメリカのカルチャーにおける「クール」を定義してきたナイキの歴史を振り返ってみよう。

1973年:ナイキは初めてアスリートを広告宣伝に起用

「プリ」の愛称で知られたスティーブ・プリフォンテーン(Steve Prefontaine)は伝説のランナー。

彼は当時、弱冠15歳で2マイル(約3.2km)、8分41秒5という国内記録を打ち立てた。自動車事故により24歳で没するまでに2000メートルから1万メートルまでの中長距離種目全てで国内記録保持者となった。

プリは1974年に5000ドル(訳注:当時の1ドル300円換算では約150万円)でナイキと契約した。同社は創業からわずか3年目だった。

彼の流れるような髪、パンクロッカーのような態度、前人未到の成功のおかげで、ナイキは自信に満ち、支配的かつ求道的なアスリートに重なるブランドイメージを確立することができた。

1970年~1978年:ナイキ、ジョギングブームを仕掛ける

ナイキの共同創業者のビル・バウワーマン(Bill Bowerman)はもともとオレゴン大学の陸上コーチで、プリを大学に誘い、その後ナイキとの契約に結びつけた張本人でもあった。

バウワーマンは、後に「ジョギング」と称されるようになるレクリエーションとしてのランニングの熱心な推進者だった。昔からずっと人気が続いているような気さえするが、実際には1970年代にブームが起きるまで、ランニングは一般的な趣味とは言えなかった。

マーケティングアナリストのギャレット・ムーン(Garrett Moon)は「1970年代、ランニングはすでに学生やアスリートの間では人気があったが、まだ現在のように社会全体には広がっていなかった。当時増加していたホワイトカラー層が、健康に役立つ習慣としてランニングを社会的に位置づけた。このトレンドが根付くと、次に『ジョギングシューズ』への人々の興味とニーズが生まれた」と述べた。

ランニングをメインストリームに押し上げたきっかけは、バウワーマンが医師とともにレクリエーションとしてのランニングの利点を解説した『Jogging』という書籍。アメリカのランニングシューズ市場の50%近くのシェアを占めていたメーカーとして、ナイキはこのブームから大きな恩恵を受けた。

1/4ページ