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社説[憲法記念日に]立憲・民主主義の再生を

5/3(水) 8:25配信

沖縄タイムス

 「それには、わたしたちに再生の手がかりを与える文言が充ちていた。人間らしく生きるのに核となる理念がいくつもあった」

 沖縄師範学校在学中に鉄血勤皇隊として沖縄戦に駆り出され、多くの学友を失った元県知事の大田昌秀さんは1947年の夏ごろ、本土から密航船でもたらされた新憲法に接し、一字一句をノートに写し取った。

 「わたしにとっては、すべてが目新しく心に沁(し)みるものばかりであった」

 立法院(現在の県議会)は復帰前の65年、沖縄に憲法が適用されていないにもかかわらず、5月3日の憲法記念日を「祝祭日」と定める法改正案を全会一致で可決した。憲法に対する渇望の表れだった。

 米軍統治下の沖縄では、憲法が適用されていれば起こり得なかった政治的事件や米軍事故が相次いだ。

 「島ぐるみ闘争」のデモに参加しただけで学生が退学処分などを受けた。那覇市長に当選した瀬長亀次郎氏に対しては布令を出して市長の座から追放した。

 那覇市では青信号で横断していた中学1年の男子生徒が信号無視の米兵の大型トラックにひかれ死亡したが、米兵は軍法会議で無罪となった。

 72年5月15日。本紙は復帰の日に合わせ1ページを割いて憲法全文を掲載した。

 施政権返還によって沖縄にも憲法が適用される。だが、安保・地位協定の適用は基地の自由使用と膨大な米軍基地の固定化を保障するものでしかなかった。「本土並み返還」は全くの幻想だった。

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 憲法が施行されてからきょうで70年を迎えた。憲法と沖縄の関係を考えるとき痛感するのは、戦後日本の極めていびつな姿である。

 米軍政下にあった沖縄は新憲法を審議する国会に住民代表を送ることができなかった。しかもその憲法は施行後25年間も適用されず、その間沖縄は「無主権状態」に置かれた。

 復帰に伴って制定された公用地暫定使用法は、米軍・自衛隊基地のための土地を国が使用するために沖縄だけに適用された法律だが、憲法95条の定める住民投票は実施されなかった。

 沖縄国際大学へのCH53大型ヘリ墜落事故、名護市安部海岸へのMV22オスプレイ墜落大破事故はいずれも民間地域で起きた重大事故だった。本来県警が捜査すべきであるにもかかわらず、安保・地位協定の壁にさえぎられ、捜査権を行使することができなかった。

 各種の世論調査によると、「憲法9条プラス日米安保」体制は多くの国民の支持を得ている。しかし、どこも米軍基地を引き受けようとはせず、沖縄に基地を置くことをさも当たり前のように考えている人たちも少なくない。

 米軍基地をそのままにして憲法9条を改正するなどというのはとんでもない話である。

 緊急性の乏しい憲法改正に政治資源を費やすのではなく「9条・安保」体制と沖縄の関わりについて国民的議論を起こすよう求めたい。

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 日本は確実に「戦争のできる国」に向かっている。

 矢継ぎ早に打ち出される国家主義的な政策。その手法は憲法の解釈変更や、国会での数の力を背景にした相次ぐ強行採決など立憲主義や民主主義を踏みにじる極めて強権的な姿勢である。

 私たちは憲法が指一本触れてはいけない「不磨の大典」とは思わない。野党の中に護憲を掲げるだけでそれを深めてこなかった弱点があったことも事実である。今最も大事な課題は憲法を改正するのではなく、危機に瀕(ひん)している立憲主義と民主主義を再生することではないのか。立憲主義が国民の間に浸透しているとはいえない。単なる護憲運動ではなく、立憲主義を根付かせ、民主主義を再生させる新たな運動を立ち上げる必要がある。「守る運動」ではなく「つくる運動」が大切だ。

 憲法改正問題で自分たちがどのような選択をするかは将来の世代を深く拘束する。辺野古問題もそうだ。子や孫の世代を見据えた判断が切実に求められている。

最終更新:5/3(水) 8:25
沖縄タイムス