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おじさんはラストエンペラー「どう見ても変な人だった…」 おいの画家が語った「不思議な思い出」

withnews 5/6(土) 7:00配信

 ラストエンペラーとして知られる愛新覚羅・溥儀(プーイー)。王昭(ワン・ジョオ)さんは、溥儀のおいで、画家として日本に暮らしています。1950年に生まれ、文化大革命も経験した王昭さん。「ドアを自分で開けたことがない」「宮廷料理よりジャージャー麺が好物」というラストエンペラーの素顔。画家としての半生を聞きました。

【画像】戦犯管理所から出たばかりの「ラストエンペラー」愛新覚羅・溥儀

幼い頃から絵の道へ

 王昭さんは1950年、北京に生まれました。

 母は愛新覚羅・プユンユで、ラストエンペラー愛新覚羅・溥儀の六番目の妹です。父の王愛蘭=完顔愛蘭(ワンヤン・アイラン)は、中国の金王朝(1115-1234)の世宗の27代の直系子孫です。

 両親はともに中華人民共和国建国後に設立された名高い「北京画院」の画家でした。王昭さんも小さいころから絵の道を志しました。

「どう見ても変な人」

 伯父であるラストエンペラーとの初対面は、現在でも鮮明に覚えているそうです。

 「小学生3年生の時、急に母親に呼び出されました。『ある親戚』に会いに行くと言われました」

 「会ったのは背が高いおじさんでした。服はちょっとよれよれで、縮んだ時代遅れのものでした。帽子をかぶり、そして丸いメガネをかけていて、どう見ても変な人でした」

 その「どう見ても変な人」がラストエンペラー溥儀でした。

 「おじさんは親切に話しかけてくれました。首に紅領巾という赤いスカーフをしていたんですが、興味津々な様子で、『これは毛沢東主席がくれたの?』と聞いてきました」

 当時、中国の小学生がみんな持っていた紅領巾を知らなかった溥儀に、王昭さんは「変な人だなぁ」と思ったそうです。

 実は、その時、王昭さんが会った溥儀は、10年間いた撫順戦犯管理所から出たばかりでした。

自分でドアを開けたことがない

 清王朝や満州国の皇帝生活が長かったため、溥儀の生活は「ちょっとずれていた」そうです。

・手でドアを開ける習慣がなく、いつも足で蹴ってしまう。紫禁城などでは自分でドアを開けたことがなく、ドアはすべて自動で開くと思っていた。

・手の洗い方を知らない。せっけんを手につけてから、水をつけていた。

・服のボタンがはめられない。いつもずれていた。

・背が高く、いつもドアの縁の同じところにぶつかる。機嫌が悪くなると、壁を取り壊す言い出す。

・料理ができない。おなかがすいたら、時々、王昭さんの家にジャージャー麺を食べにきて「皇帝専用の300皿ある宮廷料理よりもずっとおいしい」と絶賛。

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最終更新:5/7(日) 3:08

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