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「笑顔、みんなの記憶に」 末期がんの當間さん、病院スタッフや友人と「感謝の会」

5/4(木) 5:00配信

沖縄タイムス

 糸満市にある南部病院の会議室。緑色のワンピース、巻き髪のウィッグでおしゃれをした女性が、背もたれを倒した車いすに乗って入ってきた。4月29日、末期がんのため、緩和ケア病棟で日々を過ごす當間光江さん(54)=那覇市=の「感謝の会」が始まった。主役の登場を待っていたのは親族や友人、病院スタッフら約80人。「毎日、朝を迎えるのが楽しみ。穏やかに過ごせ、とっても幸せなことを皆さんにお伝えしたい」。前日に病床でビデオ撮影した當間さんのあいさつが流れると、拍手が湧き起こった。

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 左乳房にがんが見つかって2年近くたつ。診断時点で肝臓や肺、骨への転移があり、症状は4段階で最も重い「ステージ4」。化学療法や放射線治療の後も病は進み、右手や下半身は動かなくなった。最近は左手もしびれて力が入らない。

 4月上旬。今後は自力呼吸も難しくなる、との見通しを伝えられた當間さんは、看護師長の小橋川初美さん(57)に問い掛けた。「奇跡は起こると信じていいですか。それとも旅立つ準備が必要ですか」。小橋川さんからは「両方、やりましょう」と返ってきた。

 「感謝の会」のアイデアが生まれた。押し花作家として活躍し、花や葉を立体的に飾り付けるレカンフラワーとともに国内外のコンテストで数々の賞を受けた。多くの教え子や恩師の顔も浮かび「大好きなみんなに、これまでのありがとうが伝えられるなんて」。心が弾んだ。準備の中心を担ったのは、高校時代からの大親友で「みーつーのほくろの数まで知っている」と話す當山和枝さんと佐久川初枝さんだ。

 1週間ほどで当日を迎えた手作りの催しだった。「夢のような時間。皆さんの記憶に笑顔の私を残したい」。周囲が体調を気遣う中、予定を超える約2時間、當間さんはずっと笑っていた。

■多くの支え、私を変えた 「暗闇の中でも明るく生きる」

 「私はいつも泣いてばかりいたんじゃない」。そう書き出すウェルカムボードが、入り口で参加者約80人を出迎えた。4月29日、末期がんの當間光江さん(54)の「感謝の会」が開かれた糸満市の南部病院。ボードにあしらわれたピンクの押し花は、當間さんがいま、何とか動かせる左手で病院スタッフと一緒に完成させた。
 「湿っぽいのは嫌」。本人の希望通り、会では友人たちとディスコをはしごした20代が“暴露”され、主治医の笹良剛史さん(54)の熱唱も県内外からのビデオレターもある、にぎやかな時間が過ぎた。
 當間さんを異変が襲ったのは2015年7月。ずっと続いていた肩や首の痛みは頸椎(けいつい)の持病が原因だと思い込んでいたある日、突然歩行がおぼつかなくなり救急搬送された。「今まで怖くてがん検診に行かなかったのに、その日一日でありとあらゆる検査をされた。検査なんて大したことないとみんなに伝えたい」。すぐにがんの告知を受けた。
 しばらくはショックで身内や親しい友人以外に病状を伝えず、外出も避けたが「2年近く毎日毎日、病院に誰かが訪ねてきてくれて。それが私の心を変える原動力になった」と話す。今年2月、積極的治療をやめ、緩和ケア病棟に移ることに葛藤もあった。しかし「体のまひもがんの痛みを和らげてくれると思えばありがたいし、薬の力でご飯もおいしい。多くの人の支えで自分が好きになり、暗闇の中でも明るく穏やかに生きることってできるんだと思った」とかみ締める。
 友人の手を借り、押し花アートを制作してきたアトリエの整理にも取りかかっている。「大切な場所がなくなるのは寂しいけれど、乾燥させたたくさんのお花や機械が残っている。誰かが受け継いで新しい作品を生み出してくれたらうれしい」
 両親と兄、姉を亡くした當間さんにとって、唯一の家族は弟の清次さん(51)だ。会であいさつした清次さんは「『あんたのねーねー、かわいいね』と同級生から何度も言われ、ちょっと自慢だった。自分のためにならないことをうれしそうにやっていた姉を尊敬している」と照れながら話し、こう続けた。「余計な心配せず安心してね。来世でもまたきょうだいで、同じ家族で過ごしたいね」。當間さんは傍らの病院スタッフにこぼれ落ちる涙をふいてもらいながら、それでも前を向いて「ありがとう」と繰り返した。(社会部・新垣綾子)

最終更新:5/4(木) 5:00
沖縄タイムス