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《ブラジル》熊本文化交流協会=地震一周忌法要に参加=15人が自費で母県慰問=「今後も復興に協力したい」

5/5(金) 6:47配信

ニッケイ新聞

 【既報関連】熊本地震の被災者激励のため3月9日に日本へ旅立った「震災激励訪日団」が26日に帰国した。自費で訪日した一行15人は約2週間滞在し、熊本地震一周忌追悼式典への参列や被災地慰問、県民との激励交流などを行った。今月3日、サンパウロ市のブラジル熊本県文化交流協会(田路丸哲治会長)の会館に集まった田路丸会長(二世、71)、日下野良武顧問(熊本市、73)、赤木数成書記(同、81)に今回の訪日について話を聞いた。

 関連死を含め約225人の犠牲者を出した熊本地震からちょうど一年目となった先月14日、熊本県庁で熊本地震一周忌追悼式典が行われた。
 訪日団を代表して田路丸会長、日下野さん、赤木さんの3人が式典に参列し、遺族や蒲島郁夫知事、安倍首相らとともに犠牲者の冥福を祈った。
 田路丸会長は「当日参列者の4分の1が遺族で、被災地復旧にはげむ自衛隊員も参列していた。蒲島郁夫知事が一人一人と握手していた様子が胸に響いた」と感動した様子で振り返った。
 訪日団15人は11日に熊本県に到着し、翌日熊本市内見学を行った。同市出身の日下野さんは熊本城の変わり果てた姿に「見ていられなかった」と語った。「武者返し」と呼ばれる急勾配の石垣は崩れ、天守閣の瓦はほとんど落ちた。復旧には2、30年掛かると予測されている。「私は熊本城を見て育ってきた。思い出の場所がこんなこと…」とため息をついた。

 夜には熊本日伯交流協会(小堀富夫会長)が開催した訪日団歓迎会に参加。知事や市長、各文化団体団長や大学学長なども出席し、今までの歓迎会で一番参加者が多かったそう。赤木さんは「昨年は日系社会、ブラジル社会全体から義援金が集まったことが評価されたのでは」と語った。
 13日以降は益城町や西原村、南阿蘇村、大津町など被害の大きかった地域を訪問。益城町では応急仮設住宅が並ぶテクノ仮設団地も訪問した。516戸あり、ほとんどは高齢者だ。住人の生活を見た田路丸会長は、「運動場のような場所に同じ形の家がズラッと並んでいて収容所のよう。若い人は出て行き、残るのは新しい家を建てられない高齢者ばかり。住みはじめて2年で退出しなければならないので、皆その後の生活を心配していた」と説明した。
 九州で大地震が起きることは珍しく、想定外の被害だった。赤木さんは「地震対策をせず地震保険も未加入の人が多く、ブルーシートに覆われたままの家が多く残っている。崩れた山の側の人は『上(山)を見ると怖くて家の物の回収にかかれない』と話していた。幹線道路も壊れ、移動のために農道を使っていた」との状況を説明した。
 今回の訪日を終え、田路丸会長は「直接会って、手を握り、目を合わせ、声をかけることの大切さを感じた」と訪問の意義を語った。また「今後も熊本の復興に協力したい。具合的な案はこれから当地交流協会と考えたい」とさらなる復興支援に意欲を見せた。


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 熊本地震一周忌追悼式典に震災激励訪日団から、異例の3人が招待されたことに関し、田路丸会長は「ブラジルからの協力が認められ、特別な計らいを受けた」と嬉しそうな顔を見せた。他団体のほとんどは代表者1人の参加だったよう。15日に訪れた阿蘇神社では満開のソメイヨシノが見られたという。熊本県での桜の季節は3月の終わり頃から4月上旬。会長は「季節はずれだったが、まるで『待っていたよ』と迎えられたようだった」と微笑んだ。震災被害に心を痛めつつも、故郷を想う気持ちが強まった様子。3人とも「今回の訪日が一番心に沁みた」と満足のいく旅行だったよう。

最終更新:5/5(金) 6:47
ニッケイ新聞