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中国は香港が必要だが、香港人は必要ない

ニュースソクラ 5/8(月) 11:00配信

香港経済の「中国化」と若者たちの憂鬱

 「オレの父親はトラックの運転手だ。中国大陸と香港を行ったり来たりする仕事で稼いで、大陸に3人も現地妻がいる。オレは香港大学の学生だ、それなのに・・・」。香港のある著名な社会学者は、自身が教える香港大学の学生からこんな愚痴を聞いたという。

 彼の父親世代にとって、香港が、香港よりも経済的にずっと遅れていた中国大陸と境を接していることは、利用価値の高い大きなメリットであった。電車や車で1時間足らずの場所に、はるかに低コストの巨大な経済が存在する。1978年に中国の改革・開放政策が始まると、香港企業は大陸で調達した労働力で生産した製品を世界に輸出して利益を得、香港市民は大陸で買い物やレジャーを安く楽しむことができた。香港では低賃金の労働者でも、大陸では大金持ちである。多くの中高年香港人男性が、大陸の若い女性と結婚した。

 しかし、その後の中国経済の急成長により、状況は大きく変化する。1990年代に中国の2割以上を占めた香港のGDPは、今や中国の3%に満たない。中国の華々しい経済成長と比して、返還後の香港経済は明らかに勢いを欠いた。北京は香港経済を支えるため、観光客の香港個人旅行や、香港の金融機関の人民元業務を解禁した。この経済融合政策の開始後、香港経済は成長し、かつ「中国化」が進んだ。香港証券取引所の時価総額に中国企業株が占める割合は、返還直前の1996年には8.48%に過ぎなかったが、現在は4割を超える。

 しかし、経済融合は香港の一般市民、特に若者にとって、利益となったかと言えば疑わしい。大陸から優秀な人材を受け入れる制度が開始され、香港の大学には大量の中国のトップエリートたちが留学してくるようになった。同時に、中国ビジネスの拡大により、香港でも中国大陸の経済に精通した人物がもてはやされるようになった。香港で働く筆者の日本人の友人によれば、香港の金融界では数年前まで、中国人が英語を使ってビジネスをしていたが、今や日本人さえも北京語ができないと話にならないという。結果として発生したのは、香港の就職市場での香港人と大陸人の競争である。著名なベテランジャーナリストの林行止氏は、香港で徐々に幅を利かせるようになっている中国国有企業が香港人を雇用したがらないだけでなく、外資企業の雇用の優先順位も、大陸の幹部の子弟、大陸の富豪の子弟、大陸の平民エリート、香港の富豪子弟、香港の海外留学組、香港の一般大学生の順であり、香港の若者の不満は沸点に達していると述べる。北京語に精通し、中国の独特の政治経済事情に通じ、かつコネを持つ者に、香港の若者は先天的に太刀打ちできないのである。

 香港では金融センター機能の成長と不動産の高騰が続き、富裕層に大きな利益がもたらされている一方、かつて香港経済の支柱とされた物流業が大陸との競争で低迷するなど、格差を悪化させる経済構造になりつつある。冒頭に紹介したような若者に活路はないのか。政府関係者などからしばしば聞かれる一つの答えは「大陸で働け」である。巨大な中国には無限のチャンスがある。香港の若者も、香港で良い仕事が見つからなければ、中国大陸の成長から受益せよと香港政府は若者を駆り立てる。しかし、これも現実味を欠く議論である。大陸で働いている香港市民の数は、1988年の52,000人から、2004年には244,000人に増えたものの、これをピークに2010年には175,100人に減少した(それ以降は統計がとられていない)。かつて、香港の製造業が大陸に工場を設け、香港人はその熟練工や管理職として重宝されたが、今や中国の製造業は香港人を必要とせず、大陸で働く香港人は経営者や管理職、専門職などが8割を超える。香港の大企業から駐在員として派遣された中年以上の管理職が中心で、若者にはほとんどチャンスがないのである。

 香港の著名な国際政治学者・沈旭暉氏は、「中国は香港を必要としているが、香港人を必要としているかどうかは別問題」と述べている。国内経済を未だに全面自由化できない中国にとって、「一国二制度」で程よく中国経済から隔離された国際金融センター・香港の機能を利用できることは、ますます大きなメリットになっている。しかし、中国が必要としているのは、今や香港の経済力や人材ではなく、機能のみである。大陸人が香港の機能を自ら動かせて、利用できるならば、小うるさい政治的要求を並べ立てる香港人は、もはや中国にとって邪魔な存在とすら言い得る。

 こうして、香港市民にとっては憂鬱な日々が続く。イギリスの世論調査サイトYouGovが2015年11月から12月にかけて世界17カ国・地域で実施した調査では、「世界は良い方向に向かっている」と答えた者は香港ではわずか8%、「悪い方向に向かっている」は71%に達しており、フランスの81%に次いで2番目に多かった。一方、この調査で最も楽観的であったのは中国大陸の住民で、「良い方向に向かっている」が41%に達し、「悪い方向に向かっている」は33%に留まった。

 香港の若者が2014年に起こした民主化要求の「雨傘運動」は、地元で「若者問題」の存在に注目が集まるきっかけとなった。中国政府は現在、香港の一部の若者から盛り上がった香港独立運動の阻止を最優先課題に掲げる。そのためには、中国が香港の若者たちに希望を与えられる政治・経済であることが、何よりの策なのではないだろうか。

■倉田 徹(立教大学教授)
75年生。東京大学大学院総合文化研究科博士後期過程終了、博士(学術)。03-06年在香港総領事館専門調査員。金沢大学准教授を経て、現在は立教大学法学部政治学科教授。著書に『中国返還後の香港ーー「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名大出版会、サントリー学芸賞受賞)、『香港 中国と向き合う自由都市』(岩波新書)。

最終更新:5/8(月) 11:00

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