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【アトピー名医・薄場氏の足跡】2)「倒れるまで診るんだ」

デーリー東北新聞社 5/8(月) 13:32配信

 1991年、八千代旅館(八戸市類家)に戻ってきた一人の宿泊客の姿に、経営者の北村妙子は目を見張った。皮膚という皮膚が、包帯で覆われている。何があったのか、聞くに聞けない。
 「薄場眞先生の患者ですよ。アトピー性皮膚炎の治療に来たんでしょう」。後に常連客の製薬会社社員が教えてくれて合点がいった。旅館と薄場皮膚科医院は徒歩数分の距離。72年に旧山形村(現久慈市)から嫁いで以来、薄場の評判はいつも耳にしていた。その後、薄場を頼る患者が口コミで次々と滞在するようになった。
 軟こうの強いにおいは館内でも存在感を放った。一般常連客の中には、宿泊先を変更する者も少なくなかった。
 それでも北村は患者の受け入れを続けた。高い旅費を払ってまで助けを求めに来る人々を、拒む気には到底なれなかった。
  ◇    ◇  
 戦後、最も効果的なアトピー治療薬としてステロイド剤を重用する風潮は、80年代に一変する。誤った使用による副作用が問題視され始め、不要論も続出、多くの患者が混乱に陥った。中には医学的根拠のない民間療法で症状を悪化させたり、新興宗教にすがって莫大(ばくだい)な身代を失ったりする人も。心身共に疲れ果てた人々が薄場に助けを求めるケースが90年代から急増した。
 従来からステロイドの適正使用を唱える一人だった薄場は、極度に副作用を恐れる患者や家族を看護師と共に根気強く説得。休診日にも講座を開き、医学的知見に基づく正確な知識の普及に努めた。
 激務を心配する周囲の反対を抑えてメディアに登場すると、重症患者が一気に押し寄せ、数年先まで診察の予約が埋まった。「一人でも頼ってくる患者がいる限り、倒れるまで診るんだ」。早朝から深夜まで、一日に数百人を診察する日も珍しくなく、実際に過労で3度入院した。
  ◇    ◇  
 薄場の多忙化と軌を一にして、八千代旅館にも宿泊予約が殺到した。関東、近畿はもとより、福岡、沖縄、ハワイからも。客室が12部屋しかなく、断りを入れることもしばしばだった。
 軟こうの色が寝具に付着するのを防ぐため、タオルケットなどを持参してもらう以外は、普通の宿泊客として遇した。
 北村はうれしかった。階段の上り下りさえままならなかった重症者が、診察を重ねると見違えるほど元気になる。帽子を目深にかぶって訪れた女性が、回復した素顔に笑顔を浮かべて帰って行く。完治後に結婚、出産の報告をくれた女性もいた。「まるで母親、看護師さんになった感じ。治療をお手伝いしているような気分になれたのね」
 市内を歩き回る全身包帯姿の患者を、いつしか市民も奇異の目で見ることはほとんどなくなった。その気安さも、患者にとっては心強いものだった。薄場の医療は、地元の理解と協力にも支えられていた。
 支え手の一人でもある北村は、薄場の死を悼みながら、そっとつぶやいた。「もう年だから店じまいも考えていたけど、医院が続く限りはなるべく頑張ってみようかな」
※敬称略

デーリー東北新聞社

最終更新:5/8(月) 14:38

デーリー東北新聞社