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【あの時・“地獄を見た男”琴風】(5)前頭10枚目で引退…再び大けがとの闘い

スポーツ報知 5/8(月) 15:01配信

 あと少しで綱に手が届く。1983年春場所。琴風は初の綱取りに挑んだが、11勝で優勝を逃した。その後は賜杯が遠く、85年夏場所は「右膝外側側副靱帯(じんたい)損傷」で途中休場。3度の大けがを負った左膝をかばっていたからか、回復具合は芳しくなかった。前頭10枚目に落ちた九州場所3日目。寺尾に敗れ引退を決意する。「入門時に俺を見た人が、ここまで強くなるとは思わなかっただろうね。悔いはなかった」。通算561勝352敗102休。力は出し切った。

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 引退後、年寄・尾車を襲名。興した部屋も大きくなり、日本相撲協会理事という要職についたばかりの2012年4月4月に頸髄(けいずい)損傷を負う。大けがとの闘いが再び始まった。都内の慶大病院に2か月入院し、千葉県のリハビリ病院に転院。120キロの体重は90キロを割り、握力は左4キロ、右0キロになっていた。

 まずは立つこと。首から下が動かない寝たきり生活で、体を起こすと一時的に血圧が下がり体がふらつく「起立性低血圧」に襲われた。「縦になるのがまず大変だった。立ち上がるのではなく、立っているところで止まる。縦になれた時はうれしかった」。車椅子に乗る練習に移り、立つ練習、歩く練習…。ほぼ毎日、2時間のトレーニングに取り組んだ。「自分より若い女性が頑張っている姿を見て、泣いている場合じゃないと」。自らの生きざまを身をもって弟子に教えたかった。

 現在も東京・木場の脊髄損傷者専門トレーニングジム「J―Workout」で週1回、2時間のトレーニングをこなす。マシン、トレーナーの手技による“稽古”はきつい。担当の中村晋二トレーナーは「同様のけがの患者さんに比べても、かなりすごい回復力だと思います。追い込んだこともありますが、親方はすごいです」。

 まひはまだ体のあちこちに残るが、車に乗り込む、入浴するなど介助を必要としていたことは一人でできるようになり、左手のつえも手放した。

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最終更新:5/8(月) 15:01

スポーツ報知