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【あの時・“地獄を見た男”琴風】(4)3度の大けが乗り越え大関昇進

スポーツ報知 5/8(月) 15:01配信

 番付がすべての相撲界。79年名古屋場所で幕下30枚目まで落ちた琴風は、関取の“特権”を失った。個室から若い衆との大部屋生活に戻り、ちゃんこでは給仕もした。稽古まわしも関取の象徴の白から黒に。「本当に悔しかったよ」。巡業では重いトランクを引いて、師匠・佐渡ケ嶽親方(元横綱・琴桜)の後をついていった。そんな巡業のある日。幕内・富士桜に「お前、偉いなあ。絶対に(上に)戻れるからクサるなよ」と励まされた。「富士桜関の言葉はものすごく励みになった。師匠も『そこまでしなくても』と言ってくれたけど、それに甘んじていたら今はなかった。落ちた自分をしっかり見つめることができた」。頑張っていれば必ず誰かが認めてくれる。謙虚な気持ちを持ち続けた。

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 名古屋場所で復帰して5場所続けて勝ち越すと、80年夏場所は西関脇で10勝5敗。大関の座が再び見えてきたが、翌名古屋場所9日目でアクシデントに見舞われる。前年初場所で2度目の大けがを負った時の因縁の相手、栃光(金城から改名)を突き落とそうとした際、左膝を痛めた。今度は半月板損傷。手術を受けて初めて患部にメスを入れた。3度目となる左膝の大けが。それでも2度の故障を乗り越えて、精神力は強靱(きょうじん)になっていた。東関脇の81年秋場所12勝3敗で初優勝を果たして、場所後、大関に昇進した。

 笑顔が似ているからと付いたニックネームは「ペコちゃん」。伝達式で満開になったその笑みは、夜になって消えた。「『これからどうなるのだろう』と寝込んだよ。左膝に致命傷を持っている者が上でやれるのか不安になって…」。琴風の昇進で不在だった大関が誕生し、見上げれば北の湖、千代の富士、若乃花の3横綱。三役には朝汐、隆の里、北天佑、麒麟児、蔵間らそうそうたる顔ぶれがそろっていた。不安を打ち消そうと千代の富士との稽古に明け暮れた。初顔から6連敗だった横綱が苦手克服にと出稽古に来たのがきっかけだった。「千代の富士関は俺の当たりを受け止めたら大丈夫と思っただろうし、俺も横綱を押し込めたら他の力士も押し込めると思っていた。食事をしたり飲んだりとかは一度もない。“朝の付き合い”だった」

 その後、千代の富士には1勝22敗とまったく歯が立たなくなるが、力はついた。83年初場所で2度目の優勝を果たし、頂点が近づいてきた。初の綱取りとなった翌春場所は初日から7連勝。取組後の風呂場では、千代の富士が「(横綱に)なれよ、なれよ。頑張れよ」と励ましてくれた。まわり道のゴールが見えてきた。(秋本 正己)=敬称略、肩書は当時=

 ◆まわり道 かつては北の富士、増位山などレコードを出す力士も多く、琴風も大関だった82年9月にシングル「まわり道」(作詞・なかにし礼、作曲・三木たかし)を発表し、大ヒットとなった。その後も「東京たずね人」(83年11月)、石川さゆりとのデュエットで「東京めぐり愛」を発表している。

最終更新:5/8(月) 15:01

スポーツ報知