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『愛と怒りの行動経済学 賢い人は感情で決める』その感情は意外に合理的かも

5/8(月) 10:31配信

HONZ

意思決定のプロセスでいつも感情に左右されがちと嘆いている人にとっては朗報だ。本書によると必ずしも感情的になるのは悪い事ではないようだ。

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仕事や日常生活の中で私たちは常に何らかの決定を迫られて日々生きている。そして、意思決定の際に理性と感情のせめぎ合いを経験し、感情を排して合理的に決断できない自分に少なからず自責の念を感じているのではないだろうか。しかし、本書の著者エヤル・ヴィンターは、感情的行動は予想以上に合理的であるばかりでなく、むしろかなり高度な戦略ですらあると説く。常に冷静沈着で感情論を排する『スター・トレック』のスポックのようになれないからといって自分自身に引け目を感じる必要はないのだ。

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意思決定とは、ふたつの相反するメカニズムが激しく争う過程だと思われがちだ。(中略)二、三十年前まで多くの科学者がこのような見方をしていたが、単純化しすぎているしまちがってもいる。
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実際にカリフォルニア大学サンタバーバラ校の実験では、紛糾している問題で正当な主張と不正当な主張を区別する能力は、平常時よりもほどよく怒りを感じている状態の方が高まるという研究結果が出ている。感情の中にも理論があり、理論の中にも感情が存在する。感情と理論は相反する対立したものではなく、お互いに補完しあうものだという。著者は本書で「合理的感情」という概念を提唱している。

感情の役割について新たな考察が生まれることになったのには静かな革命が3つの分野で起きたからだという。それは、脳科学と行動経済学とゲーム理論だ。さらに、これに進化論の視点も本書では巧みに織り交ぜられている。感情的反応とは進化の過程で私たちが手にしてきた最大の武器のひとつだ。危険が及んだ時に理論的思考に全てをゆだねていては判断が遅れてしまう。

感情という言葉の中にも様々なニュアンスが含まれている。著者は感情を二つのカテゴリーに振り分けている。恐怖、悲しみ、後悔といった自立的感情と怒り、妬み、憎しみ、共感といった社会的感情が存在し「合理的感情」を理解するうえでこの二つの感情の違いを区別することが重要であるようだ。自立的感情は自分自身の決定に影響を与えるが、社会的感情は自身のみならず他者にも影響を及ぼす。人が意思決定を行うプロセスで社会的感情と言うものが大きな意味を持ってくる。自他に対し確約(コミットメント)を作り出す能力こそが重要なのである。

コミットメントの概念とは、ふたりの個人が対立する状況において、一方が他方に対して、ある結果をあくまでも(例え自らが損をしてでも)追求しようとしていると信じ込ませる事ができれば優位に立てるという発見に端を発している。自らがとる行動を明示し、それを必ず実行すると断言する事により、相手の行動を自らに好ましい方向に誘導する行為である。売り手と買い手の交渉でも国際紛争の場でも通用する概念である。現在、アメリカと北朝鮮の間で行われている心理戦もまさにこのコミットメント応酬であるといえる。

そしてなにより重要な事は、コミットメントを行う側は、ハッタリではなく本当に自らが犠牲を払う覚悟を持たなければ優位に立てないという点だ。イスラム国やアル・カイーダといった狂信的組織が見せる感情的な行動や脅しが戦略として大きな成功を収める理由もこのためであるといえるのだろう。

しかし、一方で感情的反応の問題点も指摘されている。感情的反応は適度に利用すれば交渉で優位に立つために大いに役立つが、歯止めをかけることに失敗すれば交渉自体が破綻しかねないという問題もある。著者の母国であるイスラエルとパレスチナの和平交渉が常に決裂しているのもこの感情的反応のコントロールに失敗しているからだと分析している。軍事力を使った紛争の抑止の危険性も当然ながらここにあるといえよう。確実に効用はあるものの、かなりきわどい土台の上に築かれた平和である事は認識しておく必要があることを改めて考えさせられる。

本書はこのような意思決定や行動に関する感情の基本的な役割と概念を理解した上で、著者らが実際に行ったゲーム理論の実験で人々が純粋な利益追求よりも、いっけん不合理に思える行動をとっていくことを明らかにしていく。例えば最後通牒ゲームなどでは、プレイヤーはかなり非合理な反応を見せることが明らかになっている。これは大きな問題だ。何しろ現代の経済学の基本では個人は利己的で、自己の利益を最大化するために合理的判断を行うという前提に立っている。しかし、読み進めるうちに感情的で不合理な決断が実は長期的に見るとかなり合理的な決定であることが理解できる仕組みだ。

最後通牒ゲームとは主催者がプレイヤーAに一定の金額、いくらでもかまわないのだが、この場合1万円を与え、プレイヤーBに好きな金額を分けるよう指示する。BはAが提示した金額を受取る事も拒否する事も可能だ。ただし、Bが受け取りを拒否した場合、Aもお金をもらう事はできない。合理的に考えるならばAが9900円を自らの取り分としBに100円の分け前を提示したとしても、Bは何も無い状況から100円が手に入るので受け入れるはずだ。

しかし、実際にドイツで行われた実験ではAの提示した金額が35パーセントを下回るとBのプレイヤーのほとんどが受け取りを拒否した。これはどう考えても合理的ではない。Bは自分の取り分に納得が行かない場合、自らの取り分をゼロにしてでも、相手の取り分もゼロにするという選択を行うのだ。これは、明らかに報復措置である。これはあまり合理的選択とはいえない。しかし、この一見すると非合理に見えるこのような行動にも明らかに感情に基づいた戦略が隠されているのである。

様々なゲーム理論の中で浮き彫りになる、感情的で不合理な行動も従来の意見ように排除すべきものとして、簡単に決めつける事は避け、その行動の中にかなり高度な戦略が織り込まれている事を細かく分析していく。上記の最後通牒ゲームを始め、様々なゲームで見せる感情反応がどのように戦略へと変化していくかは是非本書を手にとって確認して欲しい。もし、あなたにひとりでも部下かいるなら、あるいはひとつでも交渉案件を抱えているのなら、必ず役に立つヒントを手にする事ができるであろう。

鰐部 祥平

最終更新:5/8(月) 10:31
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