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満州開拓団史 どう伝える 静岡県拓魂奉賛会、存続の危機

@S[アットエス] by 静岡新聞SBS 5/9(火) 7:39配信

 1931年の満州事変後に旧満州(中国東北部)に渡った満州開拓団と満州開拓青少年義勇軍の経験者や家族でつくる「静岡県拓魂奉賛会」が、会員の減少や高齢化で存続の危機に直面している。7日に静岡市葵区の県護国神社で開いた恒例の慰霊祭「拓魂祭」の参列者は、30人足らず。会員は「貴重な慰霊と、記憶伝承の場が失われてしまう」と危惧している。

 この1年間に会として把握できた物故会員は6人。「現地で亡くなった仲間との合葬を望んで亡くなった友は、もっと大勢いるはずだ」。桜井規順会長(81)=静岡市葵区=は慰霊祭で祭文をこう読み上げ、無念さをにじませた。他界したり、高齢で活動できなくなったりする会員が増えるにつれ、連絡網が機能しなくなり、物故者の把握が困難になっている。桜井会長は「このままでは、会の活動は消滅する」と懸念する。

 同会によると、本県からは開拓団に5039人、青少年義勇軍に2355人が参加した。農地の開拓や旧ソ連と接する国境警備などに従事した。終戦間際、旧ソ連軍が満州に侵攻、本県の関係者だけで1500人余りが命を落としたとされる。

 帰国した団員らでつくる奉賛会は75年、県護国神社境内に慰霊碑を建立、毎年5月に慰霊祭を行っている。桜井会長によると、開始当初は千人が集まったが、年々減少している。

 富士市で生まれた桜井会長は9歳の時に家族で満州に渡り、現地で両親と兄を亡くした。「開拓団は満州在住日本人のうち、最大の犠牲者を生んだ。この経験は、日本が平和への道を歩むための教訓になっている」と強調。会員の子ども世代にも門戸を開くなどして、奉賛会を存続させる道を検討している。



 <メモ>満州開拓団 本土防衛、資源獲得を目的に国策として進められた移民事業。全国で約27万人が移住したとされ、本県も積極的に希望者を募った。青少年義勇軍は16~19歳の少年が3年間の訓練を経て、国防を兼ねた開拓民になった。終戦前後、集団自決、現地住民の襲撃、過酷な収容所生活などで約8万人が命を落としたとされ、当時の満州在住日本人で最大の死者数となった。多くの中国残留孤児も発生した。

静岡新聞社

最終更新:5/9(火) 7:39

@S[アットエス] by 静岡新聞SBS