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昭和の名女優・月丘夢路さん 映画界に提言「根気良く育てようという姿勢もないのよね」

5/9(火) 16:32配信

東スポWeb

【団塊記者の取材回顧録・特別編】映画やテレビドラマで活躍した昭和の名女優、月丘夢路さんが3日午後1時50分、肺炎のため東京都内の病院で死去していた。95歳だった。

 広島県出身。1937年、県立広島高等女学校を中退して宝塚音楽歌劇学校に入学。同期に越路吹雪さん、乙羽信子さんらがいた。39年、宝塚少女歌劇団声楽専科生として初舞台を踏み、団員の中でも群を抜く美貌で一躍トップスターになる。

 42年、大映映画「新雪」に主演して大ヒット。映画界でも大スターになる。

 43年、宝塚を退団して大映に入社。看板スターとして大活躍し47年、松竹京都に移籍。小津安二郎監督の「晩春」などに出演した。

 55年、日活に移籍。「丹下左膳(第一部、第二部)」(56年)、「白夜の妖女」(57年)などに出演。「美徳のよろめき」(57年)では名門に生まれた気品のある夫人のよろめきを演じて人気を呼んだ。59年、フリーになり100本以上の映画に出演。テレビドラマ、舞台でも活躍した。

 57年、「月蝕」(56年)などでコンビを組んだ井上梅次監督(2010年、86歳で死去)と結婚して、おしどり夫婦として知られた。

 1975年7月12日、本紙のインタビューに大いに語ったことがあった。当時52歳。「お美津」(TBS系)などのドラマに出演していた。

 宝塚時代を振り返って「あこがれましてね。女学校の入試のあとに見に連れていってもらって、それから病みつき」。そして念願の入団。

「あのころはテレビや雑誌なんかも多くなかったし、いま若い歌手にキャアキャアいっている人たちとは、ちょっと違いましたけど。でも、熱そのものはおんなじなんでしょうか」

 そして映画界入りして大映、松竹京都、日活と移って数々の作品を飾った。「映画作りは根本的に違いはないでしょうが、見るお客さんとか、時代の状況とかが違ってきますからね。わたしはつくづく幸運だったと思いますよ。私が映画の仕事をしていたころは、映画が全盛の時代でしたものねえ」

 斜陽といわれた当時の映画界に提言も。

「いまは本当にスターとか女優さんというのが育たないでしょう。根気良く育てようという姿勢もないのよね。昔は一本一本のなかでじっくりと女優が育てられていったという気がするんですよ」

 映画の全盛時代に一世を風靡したスター女優ならではのオーラがあった。

最終更新:5/9(火) 16:32
東スポWeb