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400年前の「大移住」示唆する文書、偶然発見 長崎県南島原市

西日本新聞 5/9(火) 11:43配信

 長崎県南島原市教育委員会は8日、島原の乱(1637~38年)後にほぼ無人化した島原半島に、現在の徳島県から多くの人が移住してきたことを示唆する文書を見つけたと発表した。乱後は各地から移住が相次いだが、移住に関する1次史料はこれまで確認されていないという。市教委はこれを機に研究を進め、住民のルーツである400年前の「大移住」の歴史を明らかにしていく方針だ。

 市教委は昨年度、口之津歴史民俗資料館(同市)の収蔵品を調査。うち15ページの袋とじの文書「南蛮流医薬書」(1627年)をめくった際に偶然、全ての袋とじの内側に、徳島県阿波市と周辺にあった村の土地調査の結果を取りまとめた検地帳「阿波郡新開見付之帳(しんかいみつけのちょう)」(13年)が記されているのを見つけた。文書は南島原市内の七條家に受け継がれ、同館に寄贈されていた。

 市教委は、七條家には先祖が移住者という伝承があり、徳島県内に同名の地名があることなどから、文書は七條家の先祖が移住時に携えた物と判断。田畑の広さや生産高を記録した検地帳は先祖の庄屋が保管した物で、後に更新に伴い不要になり、一族の医療従事者が裏紙として使い医薬書をしたためたと推定している。

 乱では領民ら約3万7千人が犠牲になり、江戸幕府が42年と43年に出した移住命令で、九州各地や香川県・小豆島などから移住があったとされる。だが乱の引責や失政で島原藩主の交代が続いたことで当時の記録が残らず、移住の歴史は伝承や後世に書かれた文献などで伝えられてきた。

 市教委は「新史料は農民だけでなく医学などの知識人も計画的に移住させた可能性を示す物でもある。研究を進め、展示などを通して南島原の成り立ちを伝えていきたい」とした。

=2017/05/09付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞社

最終更新:5/9(火) 11:46

西日本新聞