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川内優輝が激白「誰もが東京五輪目指すわけでは」発言の真意

日刊ゲンダイDIGITAL 5/10(水) 9:26配信

「私なんか、日刊ゲンダイさんにはしょっちゅうイジメられて、そういう記事を見ると『ああ、また……』と思っています」

 のっけから、らしさがあふれていた。企業に属さない「最強の市民ランナー」として第一線を走る川内優輝(30)は、これまでも歯に衣着せぬ発言で日本マラソン界に一石を投じてきた。代表に選ばれた今夏の世界選手権(ロンドン=8月4日開幕)を「これが最後の代表」と位置付ける川内に、マラソン界の現状、課題を大いに語ってもらった。

■「戦争みたいな感じすらある」

 今夏のロンドン世界選手権国内選考会を兼ねた昨年12月の福岡国際マラソンで日本人トップとなる3位でゴール(2時間9分11秒)。代表キップを手にした。

 その後の今年3月の記者会見で川内は、日本陸連の瀬古利彦長距離・マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(60)に「東京五輪までやってほしい」と要望されると、強い口調で「誰もが東京五輪のためにやっているわけではありません!」と反論した。この言葉の真意とは。

「みんながみんな、東京五輪に向かっていくというのは、おかしいと思うんです。それぞれ年齢も違うわけですから、30代後半の人は3年後には40歳くらいだし、高校生の子がいくら東京を目指しても大学生。でも、『とりあえず東京が目標と言わなければいけない』という雰囲気が嫌なんです。ちょっと戦争中みたいな感じすらある。東京五輪という大義があって、誰もがそこに向かっていかなければいけない。少しでも横道にそれたら『おまえは非国民だ』みたいな雰囲気が嫌で、瀬古さんにああやって言ったんです」

 川内といえば、レースのたびに倒れ込むようにゴールする姿が印象的だが、それは一つ一つのレースに全力投球している証しでもある。

「私としては『ロンドンをステップに東京へ』というのがすごく嫌なんです。東京五輪が一番大事で、東京のためにはロンドンは『捨て石』にしてもいいみたいな。ロンドンで全てを出し切りたいというアスリートもいるわけであって、誰もが3年後、4年後まで一線級でいられるか分からない。私は偶然にも2011年から7年間トップ級でやってこられたけど、今後、何かあってケガで立ち直れなくなるかもしれないし、3年後なんてどうなるか分からない。いろんな人が、3年計画とか4年計画とか言いますけど、私はせいぜい1~2年計画で、目の前のレースを一つ一つ大事にして、目的意識を持って走りたい。それに、やっぱり日本代表ってそういうものじゃないと思うんです。世界陸上でも五輪でも日本代表は日本代表。選ばれたからには、選ばれなかった人がいっぱいいるので、そんな先のレースを見ている場合じゃなくて、いま目の前にある世界陸上を見ろよと思っているので、正直あんまり『東京、東京』って言われたくないんです」

■「すぐ欠場する風潮が嫌だった」

 3度目の世界選手権代表の座を勝ち取った昨年の福岡国際マラソンでは、大会2日前に左足首を捻挫。周囲から欠場を促される中、強行出場した。五輪や世界選手権などの選考に関わる大きなレースを重視するあまり、調整不足やケガを理由に出場予定だった大会を欠場する選手も多いが、その傾向にも疑問があるという。

「前々からすぐ欠場する風潮はすごく嫌だった。リストを見ると、招待選手が30人いてもそのうち10人が欠場とかよくあること。『大きなレースのためだったら目の前のレースなんか欠場しても棄権してもいい』と言う人もいますが、それは違うんじゃないか。招待選手で引き受けたからには必ず走らなきゃいけないし、それを楽しみにしてくれている人も大勢いる。ちょっとケガした、出ませんというのはみんなガッカリすると思いますし、それってプロ意識が少ないのかなと。私はプロではありませんが意識だけはプロでいたいので、私はどんなに追い込まれても欠場しない。こんなこと言ったら、またいろんなところから怒られそうですけど(笑い)」

 東京五輪がすべてという風潮には、こんなリスクもあると指摘する。

「東京が終わったら、多くの選手が燃え尽き症候群になっちゃうんじゃないかというのがすごく心配。特に、ギリギリでやっている選手のモチベーションがなくなって、一斉に引退してしまうかもしれない。私は東京の先も全然やるし、東京だけがモチベーションじゃないので、自分が弱くなるまではいつまでもやるつもりなのでまったく問題ないんですけど、日本のマラソンが今まで以上に弱くなるんじゃないかと思って。2021年も世界陸上(米国)がありますから、それがすごく心配なんですよ」

 川内はそう言って表情を曇らせた。

▽かわうち・ゆうき 1987年、埼玉県出身。春日部東高から学習院大に進学し、07、09年に関東学連選抜として箱根駅伝に出場。大学卒業後は実業団に入らず、当時陸上部のなかった埼玉県庁に入る。職員としてフルタイムで働きながら「市民ランナー」として全国のマラソン大会に参加。五輪出場はなし。3人兄弟の長男で、次男と三男、母も市民ランナーとして活動中。172センチ、59キロ。

最終更新:5/10(水) 9:26

日刊ゲンダイDIGITAL