ここから本文です

仮設の日々、泣き笑い 共感じわり 上映続々 映画「飯舘村の母ちゃんたち」

日本農業新聞 5/10(水) 7:01配信

 福島県飯舘村の女性農業者・菅野榮子さん(81)と菅野芳子さん(80)の日常を描いたドキュメンタリー映画「飯舘村の母ちゃんたち 土とともに」が共感を呼び、自主上映の輪が広がっている。昨年5月から全国6劇場で公開された後、60カ所で自主上映された。東京電力福島第1原子力発電所事故後の苦難の中でも笑顔を絶やさず、土と共に生きる姿が多くの人々の心に響いている。

避難解除 なお苦難 主演の農家集いで訴え

 映画を手掛けたのは、パレスチナの女性や子どもをテーマにドキュメンタリー映画を撮り続けてきた、映画監督でフォトジャーナリストの古居みずえさん(68)だ。東日本大震災の被災地を回り自分に何ができるかを模索する中、2011年4月22日、飯舘村が計画的避難区域になったニュースを知る。

 「紛争によって突然故郷を奪われたパレスチナの人々の姿と、原発事故で避難を余儀なくされた飯舘村の人々の姿はどこか重なる」と現地に入り、榮子さんらに出会う。カメラを向けても自然体で受け入れてくれる2人の日常を通じて飯舘村の記録を残したいと、撮影を続けた。

 2人は親戚で、隣り合った仮設住宅に暮らす。近くに借りた畑で季節の野菜を育て、食事はできるだけ自ら作る。離れて住む家族や訪ねてくる知人をもてなすための漬物やぼたもちを作り、家の周りにはきれいな花を咲かせる。何気ない日常の中、土と共に生きてきた女性農業者の生きざまが映し出される。

 「土に触れている間は原発を忘れられる。土と太陽と自分の技術に感謝して、農業をやってきてよかった」。映画での榮子さんの言葉だ。

 撮影は13年から15年秋までの3年間。「日本一美しい村」と称された飯舘村の田畑には、除染された土が入ったフレコンバッグが並ぶ。長引く避難生活の中、榮子さんが「ばば漫才」と称する、芳子さんとの泣き笑いの会話が胸を打つ。「笑ってねぇどやってらんねぇ」

「帰れない」対応に怒り

 7日、映画「飯舘村の母ちゃん」制作支援の会が新宿区で開いた「上映&トークと交流の集い」には、連休最終日にもかかわらず100人が詰めかけた。4月には韓国・全州国際映画祭で上映され、7月までに埼玉、長野、東京などで自主上映会が予定されている。

 上映後のトークイベントでは、3月末で避難解除となった村の現状を心配する声が多く寄せられた。村の現状を追い続ける古居さんは「問題は山積している」と指摘。ゲストとして参加した榮子さんは「原発事故後に避難民となり、6年たって帰村宣言され、帰りたくても帰れない難民になった」と、原発事故やその対応への怒りをあらわにした。まだ放射線量が高く、「何十年後は無理でも100年後には誰かが帰っていけるかもしれない。原発事故の前にあった暮らしを後世に残すための新しい種をまいていきたい」と意欲を見せた。

 参加者からは「ぜひ自主上映会を開きたい」という声も聞かれた。制作支援の会では、自主上映を呼び掛けている。問い合わせは同会、(電)090(7408)5126。(飯田尚子)

日本農業新聞

最終更新:5/10(水) 7:01

日本農業新聞