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山城「岸岳城」江戸末期の絵図発見 九州屈指の大きさ、実像に迫る

佐賀新聞 5/10(水) 11:50配信

■武雄鍋島家資料「唐津之図」に記載

 唐津市にある佐賀県指定史跡「岸岳(きしだけ)城跡」の江戸末期の絵図が見つかった。武雄市図書館・歴史資料館が保管する武雄鍋島家資料の「唐津之図(からつのず)」に描き込まれているのを宮武正登佐賀大学教授(54)=日本中世史・城郭史=が確認し、9日に発表した。城内の平面構造を描写し、名称を記しており、中世に築かれたとみられる曲輪(くるわ)も描かれている。「江戸時代以前の様子を描いた唯一の絵画史料」といい、九州屈指の大きさながら「謎」とされてきた山城の実像に近づく手掛かりになりそうだ。

 岸岳城跡は、相知町と北波多にまたがる岸岳(標高320メートル)の山頂にある。室町時代後半から東松浦地方で勢力を持ち、戦国期には肥前北部の代表的な領主になった波多氏の本城だった。波多氏の滅亡後は唐津藩初代藩主の寺沢氏が唐津城の支城として整備し、1・3キロに及ぶ総石垣の山城に姿を変えた。寺沢氏の断絶とともに廃城になったものの、歴代藩主が城跡を管理する城番を配置した。

 絵図には「鬼子(きし)岳城跡」として、「水ノ手矢倉(みずのてやぐら)」など各部の呼称が記述されている。曲輪の形状や配列、堀の位置や数も確認でき、現存する石垣の並びと一致している。2本の赤い線で描かれた城への進入路など、これまで未確認だったものも記載されている。

 石垣の延長線上には、中世の波多氏の時代に築かれたと考えられる石垣を伴わない曲輪も描かれている。宮武教授は「中世から近世にかけての城の変遷をよく表している」と評価している。

 唐津之図には、岸岳城の属城で県指定史跡の獅子城(ししがじょう)(唐津市厳木町)も描かれている。2例目の絵図だが、より正確に描写されているという。

古絵図「唐津之図」なぜ武雄鍋島家に?

 岸岳城跡を描き込んでいることが確認された古絵図「唐津之図(からつのず)」は、佐賀藩武雄領を治めた武雄鍋島家に伝わる資料の一つだ。縦3メートル、横4メートルの大きさがあり、唐津藩を描いた絵図では最大級で、道や河川、番所など藩政の基本情報が網羅されている。こうした絵図を江戸末期に佐賀藩がなぜ必要としたのか、作製過程の謎が関心を呼びそうだ。

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最終更新:5/10(水) 11:50

佐賀新聞