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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」=ポルト・ヴェーリョとパウマス(22)リベルダーデとの意外なつながり

ニッケイ新聞 5/10(水) 7:32配信

 州都パウマスは南緯10度、朝からじわじわと汗をかく暑さだ。
 ガイドに案内されて最初に向かったのはプラッサ・ドス・ジラソイス(ひまわり広場)。57万1千平米という南米最大の面積を誇り、「世界でも2番目」と自慢する。
 パウマスの町は、計画都市の大先輩ブラジリアをモデルにする。ヒマワリ広場は三権広場に相当し、州政庁を中心に両側に官公庁がズラリと並ぶ行政地区だ。
 その一角には、なぜか「コパカバーナ要塞の反乱」を記念する18英雄像が建てられた広場がある。その横には、コルーナ・プレスチス記念館があり、しかも設計はオスカー・ニーマイヤーだという。
 なぜこんなところに、リオ(当時の首都)で1922年に、愛国心に溢れた若き将校ら18人が、旧共和制時代の少数のファゼンデイロによる腐敗政治に反抗し、清廉潔白な政府を望んで起こした反乱の像があるのか。不思議に思い、ガイドに尋ねた。
 すると、「テネンチズモが始まったのは、コパカバーナ要塞の反乱から。そのテネンチズモの流れで、有名なコルーナ・プレスチスが今のトカンチンスを通過した。ここのすぐ南のポルト・ナショナルを通った記録が残っている。それと、要塞の反乱の生き残りの一人がシケイラ・カンポスという名前なのは、知っているか? トカンチンス州を独立させた連邦議員と同じ名前だろう。だから、ここに建てられたんだ」と説明した。つまり別人だが「同姓同名だから建てた」らしい。

 同要塞の反乱に影響を受けて、1924年にサンパウロ市で発生したのが「イジドロ革命」だ。故郷巡り一行になじみの深い聖市ジョン・メンデス広場に、その反乱軍は陣取り、大砲20門、機関銃180挺で、イピランガに位置した政府軍と対峙した。
 その時の南大河州勢の反乱軍司令官がルイス・カルロス・プレスチスだ。反乱によって聖市リベルダーデ区、アクリマソンも激戦場となり、死者600人、負傷者4千人がでた。
 23日間で鎮圧されたプレスチスは、その後、奥地行軍を始めた。その時に、現在のトカンチンスも通り、全行程2万4千キロの記録的大行軍を強行し、各所で政府軍を破った。その行軍が「コルーナ・プレスチス」だ。その後、共産主義運動に共鳴し、ヴァルガス政権下に地下活動した。そこから、同じ共産主義者のニーマイヤーとつながる。
 故郷巡りが出発したリベルダーデと、パウマスのヒマワリ広場が妙なところでつながった。
 この流れは、「汚職にまみれた政治家」VS「清廉な青年将校」という、後のブラジル近代史に続く重要な流れを作った事件だ。
 とはいえ、同要塞の反乱の生き残りと、トカンチンス州独立を果たした政治家が、同姓同名だから記念モニュメントを作るという発想はいかがなものか…。しかも、共産主義者プレスチスを顕彰する施設を、PSDB政治家が作ったという構図もすこし不思議だ。
 歴史がない州だからこそ、このようなモニュメントを作ってムリヤリに関係を持たせ、「伝統がある」振りをしている匂いがプンプンする。
 一行は、同記念館でプレスチスの映画を見て、州政庁に向かった。ガイドは玄関を入った広間で一行を呼び止め、床に埋め込まれた州紋章の金属板を指さして、「ここがブラジルの中心(Central do Brasil)だ!」といきなり宣言した。
 どうやらこの地点が「国土の地理的中心」らしい。何かいちいち人為的な感じがする観光地だ。(つづく、深沢正雪記者)

最終更新:5/10(水) 7:32

ニッケイ新聞