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「リアルに身の危険を感じる時があった」KEN THE 390が語るフリースタイルバトルの歴史

5/10(水) 12:41配信

AbemaTIMES

 「フリースタイルダンジョン」(以下「ダンジョン」)の審査員として、番組開始当初からバトルに的確なジャッジを与えてきたラッパーのKEN THE 390。

 リリース・アーティストとしてもT-PABLOWやCHICO CARLITOなどバトル・シーンでも活躍するアーティストとのコラボ曲の制作や、自身が主宰するイベント「超ライヴへの道」と「戦極MC BATTLE」をコラボさせたバトル・イベントを開催するなど、多岐にわたる活動を見せる彼に、ダンジョンのバトルを改めて解説してもらうこの企画。

 今回はその導入として、彼のバトル・ヒストリーについて、話を伺った。彼が審査員席に座ることになるまでのキャリアとは。

―― 昨年の大晦日に放送された「AbemaTV presents フリースタイルダンジョン東西!口迫歌合戦」では、審査員ではなくバトルMCとして番組に登場されましたね。

 今年の0時から始まった『Abema HIPHOPチャンネル』の開設イベントにも呼んで頂いてたんで、大晦日はAbemaのスタジオにいたんですね。それで僕がスタジオ入りした時にちょうど、僕とEroneくんのバトルが放送されてるタイミングで、それを先にスタジオに入ってたみんなが見てたんですよ。だから『ヤベえ!』と思ってすぐ楽屋に行きましたね(笑)

――(笑)。

 負けた試合だったから、それをみんなで一緒に見るなんて出来ないですよ、『ああ、この後負けるんだけどな……』って思いながら(笑)。気を使われても微妙だから、ほとぼりが冷めるぐらいを見計らって、スタジオに入りましたね(笑)。

――スピンオフ企画とは言え、『ダンジョン』に出た感触はいかがでしたか?

 思ったより『普通のバトル』でしたね。

――現場のバトルと変わりませんか?

 はい。ルールやシステムも他のバトルと近いから、『戦極MC BATTLE』に出たりする時と手応えは近かったですね。でも、お客さんに360度囲まれた状態でバトルはちょっと不思議な感じでしたね。普通のバトルは客席側の一方向からの反応だけど、ダンジョンは後ろからも前からも見られてるから、見えない所からも歓声が飛んでくる。それは相手も自分も両方だと思うけど、それにちょっと戸惑いましたね。

 特に僕はスタイル的に相手に言われた事に対してどう返すかを考えるタイプなんで、相手の言葉に集中したいんですよ。だから、思いもよらない場所から反応があったりすると、ちょっと気が逸れそうになったり。あと、勝負がついた後に、審査員からの解説が入るじゃないですか。あの時間が結構キツい。負けたからかも知れないけど(笑)。

 バトルって、普通は勝敗がついたらMCはすぐに舞台からハケるし、負けたら誰にも会わずに帰りたいぐらいなんですよね。でも『ダンジョン』は終わってもステージに残って、勝ち負けの理由を結構な時間をとって説明されるから、あれは結構心にくるな、と。

 やってる方にしたら公開ダメ出しですよ。だから、今後はその気持ちも考えてコメントしようと思いました(笑)

――「口迫」は奇しくもERONEさんとの審査員同士というバトルでした。

 番組的には審査員席で隣り合ってるけど、ライヴの現場も一緒になるし、バトルでも戦った事があるから、そんなに『審査員同士の対決!』って感じでも無かったですね。でも、やっぱりERONEくんは強かった。自分のスタイルを持ってるし、僕もそれが分かってるから余計な対策をしないで、自分もいつものスタイルでぶつかっていった感じでした

――お互いに「スタイル・ウォーズ」が出来るというか・・・

 そうですね。だから小細工無く、集中して戦えましたね

――ただ「ダンジョン」のみを見てる視聴者の中には、KENさんがバトルをするのを初めて見た人もいるかと思いますが、その反響は?

 Twitterで『KENさんラップするんすね!』みたいなのはありましたよ(笑)。でも『BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権』や『ダンジョン』以降で、お客さんはめっちゃ入れ替わってるし、3年前の事はみんな知らないだろうなって心持ちで普段からいます。

 だって、いま高校2年でラップ聴き始めた子からしたら、3年前って中2とか中1じゃないですか。それは3年前の事は知らないのも当然だから。いま19歳のぼくのりりっくのぼうよみ君に、『中高生の時、KENさんのラップを聴いて練習してたんです』って言われて、『何の曲?』って聞いたら『“CHASE”です!』って言われて、リリースは2013年だから、それも当然だよなって。でも、俺からしたらかなり新譜の感じなんだけど(笑)

――じゃあ、KEN THE 390が「キラーMC」として名を馳せてた事を知らない人も多いのかもしれませんね。

 そうだと思いますよ、というか『キラーMC期』がスゴく長かった訳じゃないから(笑)

――その意味でもKENさんの「MCバトル史」を紐解いてみたいんですが、最初にMCバトルを意識したのはいつでしょうか?

 やっぱり『B-BOY PARK』のMCバトルですね。漢(a.k.a GAMI)くんが優勝した2002年の『B-BOY PARK』の時に、当時僕と一緒にラップをしてた志人(降神)が出場してて、ベスト4まで上がったんですね。そしたら僕らがやってたイベントに、全然知らないお客さんが来るようになって。

 今までは友達しかいなかったから、普通に『お客さん』が5人も10人もくるっていう異常事態が起きて(笑)、バトルで勝つと注目されるんだ、って事が実感として分かったんですよね。それで志人はもちろん、大学の同じサークルだったTARO SOULやDEJIと一緒にバトルの練習をするようになって

――今みたいにSNSでイベントの告知をするような時代でもないから、バトルで名を上げる事による宣伝効果はスゴく大きかったと。

 ライヴに人が来て欲しい、音源も作りたい、って思ってたけど、どうして良いか分からない状況だったんですよ

――「DTMで宅録してフリーダウンロード」なんて考えられない時代だから、先輩に顔を繋ぐとか、どこかのクルーに入るぐらいしか、ヒップホップ・シーンではリリースに辿り着く方法が無かったですからね。

 そんな中で『バトルに出ると注目される可能性があるみたいだ』って事が分かったから、光が指した感じでしたね。そこでバトルやフリースタイルを超練習し初めて。並行して、DEJI経由でラッパーのMETEORにも会って、ダースレイダーが主宰するレーベル:Da.Me.Records(以下ダメレコ)につながっていくメンバーとも関係が出来ていったんですよね。

――「B-BOY PARK」のバトルは、99年から01年までKREVAさんが3連覇するという事がありましたが、その段階ではそんなに注目はしていなかったんでしょうか?

 見てはいたんですけど、年上の人達が多かったので、自分がバトルに出るっていうよりは、オーディエンスとして見に行ってた感じですね。あと、僕らの世代的な所で言うと、僕の2歳上の漢くんがMCバトル・シーンに与えた功績がスゴくデカいんですよ。漢くんがバトルのスタイル・チェンジをしたと思う。

――具体的に説明していただけますか?

「当初の『B-BOY PARK』のバトルは、基本的にはマイクを交互に回しあっていくんじゃなくて、お互いの持ち時間に『フリースタイルで技を見せ合う』っていう、例えればダンス・バトルみたいな方式だったんですよね」

――「何小節」じゃなくて時間制でしたよね。だから何分間か1人でフリースタイルして、終わったら交代して、それで終わりでした。

 だけど漢くんのスタイルは、もっと会話だったりコミュニケーションするような方向性だったんですよね。だから相手の言葉に返したり、サイファーの延長ともいえる方法論だったし、その後に漢くんやMSCの人たちが始めたイベント『お黙り!RAP道場』は、マイクを交互に回していって結着をつける形だった。今はそれが普通のバトル・スタイルだけど、当時はそれがスゴく新しかったし、それならやってみたいと思ったんですよね。

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最終更新:5/10(水) 12:41
AbemaTIMES

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