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宮廷式土器が県内初出土 富山市街地から弥生期のつぼ、東海の作り手移住か

5/10(水) 0:30配信

北日本新聞

 富山市総曲輪の西武富山店跡地そばから、赤い彩色と文様を施した「パレススタイル(宮廷式)土器」が県内で初めて見つかった。弥生時代後期の東海地方で流行した様式で、古代ギリシャの宮殿で出土した土器と似ているため、この呼び名が付いた。完成度が高く、富山産の土が使われていることから、東海地方の作り手が富山に移り住んで制作したとみられる。調査した市埋蔵文化財センターは「当時の人の流れをうかがい知る貴重な史料」としている。(文化部・藤木優里)

 調査は2016年度、中心市街地の再開発事業に合わせて、西武富山店跡地横の285平方メートルで行われた。つぼの首や底などの破片7点が見つかり、一部は赤く塗られ、文様が付いていた。接合面は一致せず、複数のつぼの破片と推測される。

 パレススタイル土器は、約1800年前に愛知県西部の濃尾平野を中心に広まった。ギリシャ・クレタ島のクノッソス宮殿で出土した土器に匹敵するほど美しいという理由で、考古学者の浜田耕作(1881~1938)が命名した。主に祭祀(さいし)などの儀式で使われていたとみられ、石川や福井、滋賀でも見つかっている。

 貝殻を押し当てた刺突文(しとつもん)や山形の文様を持ち、白い地肌に酸化鉄でできた赤い顔料「ベンガラ」が塗られている。今回見つかった破片にはこれらの特徴がはっきりと残っていた。焼き方や文様の描き方も東海地方のものとほぼ同じだった。パレススタイル土器に関する論文がある愛知県教育委員会文化財保護室の原田幹主査は「東海以外で見つかった土器の中で、特に再現度が高い」と評価している。

 土器を分析した結果、富山平野特有の粘土質の土を使っていることが判明した。これまでの出土例から、弥生期には東海と富山を結ぶ北陸経由のルートがあったとみられる。同センターの鹿島昌也主査学芸員は「技術が伝わった可能性も考えられるが、精巧な作りからみて、東海から富山に移住した作り手が、地元の土で直接作ったのだろう」と話している。

北日本新聞社

最終更新:5/10(水) 12:15
北日本新聞