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Twitter Japan“18番目の社員” 沖縄の祖父母に学んだ諦めない心

沖縄タイムス 5/10(水) 11:40配信

ツイッタージャパン 比嘉正也さん(32)=読谷村出身

 琉球大学を卒業後、大分県で半導体エンジニアとして働いた。技術の習得を実感しながら「工場がないと何もできない。場所に限定される生き方は嫌だ」と物足りなさを感じていた。

 ブログなどインターネットで個人が発信し、人とつながる機能が次々と台頭した。大学時代にIT企業コンサルタントが書いたウェブに関する本が、働きながらも脳裏をかすめていた。自らのブログでシリコンバレーへの思いをつづっていたところ、会ったこともない人に「一緒に見に行きませんか」とブログ上のコメントで誘われた。迷いはなかった、チャンスだ。グーグル本社には、カフェテリアがあり自由に使え、働く人たちが生き生きとして見えた。「すごい、こんな働き方があるのか」と自分の日常と落差を感じた。

 帰国後、憧れはあっても転職のつてはない。転機となった書籍に出てくるブログの管理者などへ「手当たり次第」連絡し、面会を求めた。約1年間、北海道や千葉、大阪など休日を利用して飛び回った。ある日、参加したイベント後の懇親会で、当時のライブドア執行役員に自らを売り込んだ。約2週間後、採用が決まった。25歳だった。

 バイタリティーの源は、祖父母だ。読谷村内でたびたび行われていた米軍のパラシュート降下訓練は、コースから外れて畑に降り、作物を踏むなど、村民を悩ませていた。独学で英語を学んだ祖母は、畑仕事をしている間は訓練をしないよう米軍の幹部と交渉し約束を取りつけた。それを祖父が誇らしく繰り返し話すのを聞くにつれ「交渉すればなんとかなる。諦める前にまずは食らいつく」が根付いた。

 2年半のライブドア勤務を経て、ツイッタージャパン18番目の社員として入社。広告部の立ち上げに携わり企業に広告を出してもらえるよう営業して回った。現在は、代理店とどういう広告を出せば利用者の購買意欲をかき立てられるかなどの戦略支援をしている。

 米国をはじめ、世界中の30カ所以上にオフィスを構える。英語は社内資料など頻繁に使われる。技術は日進月歩で進化し、競合媒体も現れる。勤務体系など個人の裁量が大きく、シリコンバレーで見た「自由」はいま「相当スキルを持ち、生産性を持たないと易(やす)きに流れる」と厳しさを突きつける。だが「キャリアを磨けば生活を豊かにできる」。誕生日など節目には大学時代に書いた人生設計を眺め、現状を確認する。探求心が満たされることはない。(東京報道部・上地一姫)

 ひが・まさや 1984年読谷村生まれ。琉球大学工学部を卒業後、東芝セミコンダクター社入社、その後ライブドアを経て、2012年にTwitter Japanに18番目の社員として入社。広告部の立ち上げに携わる。ストラテジックパートナー、ストラテジックアカウントエグゼクティブ。Twitterハンドルは@ryu_higa

最終更新:5/10(水) 11:40

沖縄タイムス