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浜岡原発協力金、3号機着工前後に集中 立教大所蔵資料で判明

@S[アットエス] by 静岡新聞SBS 5/11(木) 8:58配信

 中部電力浜岡原発1~4号機(御前崎市佐倉)の建設に際し、中電とのパイプ役を務めた地元の住民組織「佐倉地区対策協議会(佐対協)」に中電から渡された協力金で、30億円余りとされる総額のうち約18億円が3号機着工(1982年)前後に集中的に渡されていたことが、10日分かった。佐対協に関する資料を所蔵する立教大(東京)が追加公開した文書で判明した。 

 文書は「秘 佐対協基金台帳 平成8年3月31日決算」としるされた書類。協力金については、これまでも手書きのメモなどは公開されたが、基金台帳という正式な書類で分かるのは初めて。浜岡原発の建設が申し入れられた翌68年度からの毎年の協力金の額や基金残高、取り崩し額などが一覧にまとめられている。

 台帳によると、2号機増設までの協力金は累計2億6千万円程度だが、3号機の増設申し入れ後の81~86年度までの6年間は4億5千万円(85年度)、2億7千万円(83年度)など計約18億円が入金されている。3号機の着工前には、東海地震説の発表(76年)や米国スリーマイルアイランド原発事故(79年)が発生。地元住民の不安は高まり、増設の交渉は難航していた。

 基金残高は4号機着工後の91年度の24億円がピーク。記録が存在する最終年度の95年度末は21億2千万円が残っていた。基金残高は佐対協の役員でも一部しか知らされていないとされる。

 立教大が公開した文書は、旧浜岡町議で3~4号機建設時の78~90年に佐対協会長を務めた鴨川源吉氏(故人)が残した資料。佐対協の平林和丸会長は「協力金は原発を受け入れる対価として先人が大変な交渉の末に得たと理解している。現在は基金を取り崩しながら運営している」と話す。

 

 ■「安全を」住民訴え切実

 中部電力浜岡原発1~4号機(御前崎市佐倉)の建設で、地元の佐倉地区には中電から多額の協力金が提供されたが、住民はすんなり増設を認めたわけではない。立教大が公開した資料からは、徹底した安全を求める住民たちの切実な思いが読み取れる。

 「防災計画策定の話が遅れている。できてから3号機の話を始めてほしい」「メリットよりも我々が考えているのは安全性の問題である」―。

 3号機の増設申し入れを受け、佐倉地区対策協議会が地元住民の意見集約のため開いた懇談会(1978年)。議事録にはこうした声が数多く記録されている。

 3号機増設で、国が旧浜岡町で開催した公開ヒアリング(1981年)に関する資料では、当時佐対協会長だった鴨川源吉氏(故人)が述べた意見が残されている。「あの事故(スリーマイルアイランド原発事故)以来、原発は身近にないほうがよいと思う住民はかなり増加している」。



 <メモ>佐倉地区対策協議会 中部電力が旧浜岡町に浜岡原発の建設を申し入れた翌年の1968年、原発の敷地にかかる佐倉地区の地主で発足した。住民福祉の向上を目的に、原発の増設時などに中電と直接交渉を行い補償額を決めてきた。協力金は、下水道の整備や佐倉地区4町内にある防災センターの運営、街灯の維持管理などに使っている。5号機建設の際は「不同意」を出し、その後撤回した経緯もある。

静岡新聞社

最終更新:5/11(木) 8:58

@S[アットエス] by 静岡新聞SBS