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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」=ポルト・ヴェーリョとパウマス(23)JKの「国家百年の計」

5/11(木) 6:01配信

ニッケイ新聞

 トカンチンス州都パウマスが凄いのは、まったくゼロから州都を作った点だ。1989年3月に承認された新州都建設法によって三つのファゼンダ(農場)を接収し、5月に定礎式、翌90年1月にはもう州都として機能し始めた。
 一行が滞在中に訪れたセザル・マール公園には、その間、仮市役所として使用していたファゼンダの本宅があった。ただの農場だった場所が州都に指定されて、1991年には人口2万4千人しかいなかったのに、27年間で28万人都市に育った。
 ブラジルという国の若さ、ダイナミックさを目の当たりにした。
 とはいえ、スザノ市人口が28万人なので、ほぼ一緒。つまり聖市近郊であれば目立つ大都市ではないが、「わずか27年でそこまで大きくなった」という点が普通ではない。
 ガイドの説明では、「トカンチンスの産業は農業しかない。工場はほとんど建っていない。だからパウマスにはやたらと公務員が多い。労働人口の3割が公務員だ」というので呆れた。調べてみるとパウマス市の経済活動の54%が市と州政府よるもの。
 目の前のトカンチンス川は川幅が5キロもあり、それを跨いで長大な橋がかかっている。その名も「フェルナンド・エンリッキ・カルドーゾ橋」。開通したのが2002年9月であり、FHC大統領の二期目の最後を飾る公共事業だった。
 なぜFHCかと思ったら、州独立運動をなし遂げたシケイラ・カンポス下議が同じPSDBだった。彼は89年1月に初代州知事に就任し、それから4期、約11年間も務めている。27年間の半分近い期間を州知事として過ごした。
 それなら、事実上の「トカンチンスの王様」状態だ。州政庁の前に、自分と同姓同名が入っている「コパカバーナ要塞の反乱」18英雄像が作られた理由が分かった。
 ギアに「国道の開通と町の発展は関係すると思うか?」と尋ねると、「当然だよ」との答え。「BR153ができたからこの地域は発展した。パウマス周辺を通過したのは、ようやく1982年なんだ。それからだよ、この地域が見直されるようになったのは」。
 通称「ベレン―ブラジリア街道」と呼ばれるBR(国道)153号が、最初に開通したのは1959年だ。やはりジュッセリーノ・クビチェッキ大統領(JK、1956―1961年)のブラジリア遷都に伴う全伯交通網整備事業の一環として始まった。
 この街道は、パラー州マラバーから聖州リンス、マリリアを通って、ウルグアイ国境アセグアまで続く。ちなみに東京からタイのバンコクまで4620キロあるが、この街道はそれより長い総延長4355キロだ。まさに「国家の背骨」といえる。
 思えば聖州リメイラからPVを通って、アクレ州リオ・ブランコまでつなぐBR364が開通したのも1960年。やはりJKの時代だ。それが84年に舗装され、一気にPVを発展させた。
 現在のトカンチンスの周辺のBR153が舗装された1974年以降に独立機運が高まったようだ。JKがやり始めた国土改造計画はまさに「国家百年の計」であったと、今さらながらに感じさせられた。(つづく、深沢正雪記者)

最終更新:5/11(木) 6:01
ニッケイ新聞

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