ここから本文です

妙法院のふすま絵、円山応挙・長沢芦雪らの作と判明

朝日新聞デジタル 5/12(金) 15:53配信

 京都市東山区の妙法院に伝わる襖絵(ふすまえ)が、江戸中期に活躍した絵師の円山応挙(まるやまおうきょ)や、高弟の源琦(げんき)、奇想の画家として人気の長沢芦雪(ろせつ)による作と特定された。18世紀後半の円山派の隆盛を象徴する重要な作品という。

【写真】円山応挙の高弟の長沢芦雪筆とわかった「墨梅図」=京都市東山区、佐藤慈子撮影

 妙法院は、出家した皇族や貴族の子弟が門主を務めた天台宗の京都五箇室門跡(ごかしつもんせき)の一つ。襖絵は門主が日常生活を営んだ建物「御座の間」内にあり、客との面会に用いた部屋「一之間」「二之間」「三之間」を飾る。「雪松(ゆきまつ)図」「花鳥山水図」「墨梅(ぼくばい)図」の三つだ。

 これまで応挙や応挙の門人の呉春(ごしゅん)らが作者と伝えられていたが、落款などがなく特定されていなかった。

 黒川古文化研究所(兵庫県西宮市)の杉本欣久(よしひさ)研究員(近世絵画)が調べたところ、妙法院の庶務を記録した「妙法院日次記(ひなみき)」の中に、寛政3(1791)年9~10月に源琦と芦雪が御座の間の襖絵の注文を受け、8日間にわたり通い詰めて襖絵を仕上げたことがわかる記述を発見。ほかの代表作と筆致などが一致したため、花鳥山水図は源琦、墨梅図は芦雪の作と特定した。

 雪松図は、日次記に1792年11月から翌年7月に応挙が常御殿(御座の間)の襖絵を描き白銀5枚を賜ったことが記されていた。応挙のほかの作品と比べ稚拙な点は、損傷が激しく後世の修理で補われた部分があるためで、応挙の真筆と認められた。

 円山派は写実的な様式が特徴で京都を中心に広まった。杉本研究員は「妙法院の襖絵は、円山派の輪郭線を用いない優しくうるわしい表現が、当時の皇族に好まれたことを示す。応挙や源琦の作品は京都市内の寺院には少数しか現存せず貴重だ」と話す。

 襖絵は、14日午前9時~午後4時に妙法院で開かれる法要「五月会(さつきえ)」に合わせ無料で公開される。(久保智祥)

朝日新聞社

最終更新:5/12(金) 15:53

朝日新聞デジタル