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関西の鉄道会社支える列車の技術力 前例のない工事、脱線事故の教訓

産経新聞 5/12(金) 15:07配信

 関西の鉄道を語る上で欠かせないのが技術力だ。競争に打ち勝つため、アイデアを凝らし進化してきた。できるだけコストをかけずに仕上げた車両があれば、贅(ぜい)を尽くした内装もある。快適性だけでなく安全性を追求することを絶対条件に、鉄道会社と二人三脚で歩んできた関西のメーカーはオンリーワンの地位を築いている。

 京阪電気鉄道京阪本線の寝屋川車庫(大阪府寝屋川市)。平成7年11月23日午前2時過ぎ、7両編成の電車が静かに滑り出した。改造工事を施した「3000系」の試運転だ。電車は京阪本線淀屋橋-出町柳間での営業運転を約1カ月後に控えていた。オレンジと赤の塗装も真新しいが、内装は未完成でパイプ椅子が並べられていた。

 「前例のない工事だったので、安全対策を万全にするため試運転を優先した」と渡辺博文技術課係長(50)は明かす。5両目は既存車両を改造したダブルデッカー(2階建て)。車体の土台となる「台枠」を生かして支柱、壁、床、屋根と組み立て、補強は念入りに行われた。

 工事は車両メーカーではなく京阪自身の手で行った。私鉄では珍しいことだが、同社は昭和49年ごろから改修工事は設計も含め大部分を自前で行っている。「京阪は昔から『自分たちでやろう』という思いが強い会社。ダブルデッカーへの改造はハードルが高かったが、現場には自信があった。実力を試す機会になるし、新たな技術も蓄積したかった」と設計を担当した屋敷圭三技術課係長(51)は振り返る。

 営業面でもダブルデッカーは重要な使命を帯びていた。関西の私鉄各社は、輸送人員が平成4年前後をピークに年2%程度のペースで減少。少子高齢化に加え、JRや地下鉄などの新線開通で、旅客の争奪戦が激化していた。京阪が現状を打破する策を検討した末、たどり着いた答えの一つがダブルデッカーだった。昭和33年の登場以来、人気の衰えない近畿日本鉄道の有料特急のダブルデッカー「ビスタカー」が念頭にあった。

 新造には莫大(ばくだい)な費用がかかるが、改造ならその3~4割で済むと見込まれ、自前の技術部隊が立ち上がったというわけだ。約9カ月の工事で生まれ変わった3000系は「関西で唯一、無料で乗れるダブルデッカー」として話題を集め約18年間、京阪路線を走った。平成25年に富山地方鉄道に譲渡され、今も観光列車として活躍する。

 「私鉄王国」とも呼ばれる関西で戦うJR西日本も8年3月、大阪環状線の通勤電車「103系」の内装の改良に乗り出した。103系は昭和38年に登場し、59年までに全国で約3400両が製造された国鉄時代を代表する車両だ。これに平成3年運行開始の「207系」の特徴を取り入れ、扇風機を取り外して天井の吹き出し口からの送風方法に統一するなどして、車内空間を広げた。

 国鉄時代も含めJR西が通勤電車を改良するのは、103系が初めてだった。「民営化で私鉄に負けないサービスを提供するためだ」と大森正樹車両設計室課長(50)は話す。それから20年余りの間に、JR西は1700を超える車両の改良工事を実施。26年には103系の「見本」だった207系も対象となった。

 近畿大学理工学部の谷本浩一助教(49)は「207系の改良は、安全性強化の使命を背負っている」と指摘する。17年に起きた福知山線脱線事故の車両は207系だったからだ。事故を経て、乗客を衝撃から守る技術が一層重視されるようになった。

 JR西の網干(あぼし)総合車両所(兵庫県太子町)などでは、座席の中間に握り棒を新たに取り付け、座席両端の「袖仕切り」を大型化する工事が行われている。加えて、省エネやバリアフリーへの対応も強化した。「関西の鉄道会社は、輸送人員の減少や事故などの課題に直面し、車両技術を向上させてきた」と電車研究家の福原俊一氏(64)は指摘する。

最終更新:5/12(金) 16:13

産経新聞