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【U20】ストライカー小川に聞く「間違いなく通用すると自信が確信に」

スポーツ報知 5/13(土) 6:05配信

 U―20日本代表は20日から韓国で行われるU―20W杯に5大会10年ぶりに出場する。スポーツ報知では「東京五輪世代出陣」と題してキーマンを随時紹介。FW小川航基(19)=磐田=に、東京五輪世代の中心としての覚悟を聞いた。(聞き手・井上 信太郎)

 ―4月26日のルヴァン杯・F東京戦でプロ初得点を含むハットトリック。Jでも結果を出した。

 「あの試合で『俺は間違いなく通用する』と自信が確信に変わりました。持っているものがあるからみんなプロになることができたわけで、自分の特長を出せるか出せないかは気持ちの部分だと思う。メンタルを強く持つことが大事だったのかなと思います」

 ―今ではストライカーのイメージが強いが、中学時代はトップ下をやることが多かった。桐光学園を選んだのは?

 「桐光しかなかったんです。練習に行かせていただいた学校はありましたけどオファーは受けていなくて。桐光が無理だったら普通に勉強でどこかの学校に入って、チャラチャラというか、楽しくサッカーやろうかなと本気で考えていました。高校卒業したら大学のサークルで楽しくやって…みたいな」

 ―桐光の鈴木勝大監督(39)からストライカーとして見いだされた。

 「トップ下でやるのかなと思って入ったら、最初から一番前をやらされて。監督はストライカーとしてしか考えていなかったと思いますね。特に言われたのは気持ちの部分。『何で球際いかないんだ。何でシュート打たないんだ。お前ストライカーだろ』って徹底的にたたき込まれました」

 ―初めて世代別の代表に呼ばれたのは高校2年だった15年1月のU―18日本代表のロシア遠征。それまでは代表と無縁だった。

 「あの時は『代表ってマジかよ?』みたいな。それまで神奈川県の国体メンバーの選考会すら呼ばれていなかったし、名前を挙げられたこともなかった」

 ―その遠征で3得点をマーク。以降は代表の中心選手となった。

 「あそこで自分の中でやれると思えました。周りのレベルが高くて、動き出せば絶対にパスが出てきた。それまで裏に抜けることはしなかったし、ずっと足元で受けて、というタイプだった。鈴木監督に鍛えられたメンタルに、代表で技術の部分がついてきた。その2つが重なって、目指すべきストライカー像というものが見えました」

 ―昨年の磐田入団時は体重70キロだったが、現在は一回り大きくなった。

 「今は75キロですね。昨年12月にアルゼンチンに行った時に、相手DFがメチャメチャ強かったんですよ。なかなかボールを収められなくて『このままじゃダメだ』と思って、帰ってから意識して筋トレをするようになりました。身体能力でプレーするようなタイプではないですけど、そこが伸びればプレーの幅が広がると思います。今大会で(99年大会で準優勝した)あの世代を超えたい。そうすれば間違いなく東京五輪も注目されるはず。世界でしっかり実力を証明したい」

最終更新:5/13(土) 6:05

スポーツ報知

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