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注目のバンド・DYGL、日本と海外で活動する理由

Lmaga.jp 5/12(金) 20:01配信

「いざ自分で音楽をやろうという時に、日本語の音楽は自分がやりたいものじゃないなと感じて」

2016年にデビューし、日米を行き来しながら精力的な活動をおこなってきた今大注目の4人組バンド・DYGL(デイグロー)。結成5年目にしてついにファーストフルアルバム『Say Goodbye to Memory Den』を4月19日にリリース。ザ・ストロークスのギタリストであり、ソロアーティストとしても活動するアルバート・ハモンドJr.をプロデューサーにむかえ、アメリカ・ニューヨークで制作された意欲作だ。「バンドを始めたときから、絶対に海外に行くと思っていた」という彼らに、海外で音楽をやる意味や音楽観、日本との相違など聞いた。

──2012年に大学の軽音サークルで結成されたということですが。DYGLの音楽を聴いていると、ザ・ストーン・ローゼズ、ザ・スミス、ザ・ストロークス、ザ・リバティーンズ、アークティック・モンキーズなどインディーロックの影響を受けつつも、それらを自らのサウンドに消化させているなと思うのですが、みなさんのルーツはどこなんでしょうか?

Akiyama(vo)「10代前半の頃に、少しずつ日本で流行っているポップスやロックを聴き始めたのですが、友人との間でポップパンクみたいな洋楽を聴いたりもして。ただあの時はちょうどリアルタイムでUKのポストパンクリバイバルみたいなインディーロックが全盛の頃で、ある日偶然立ち寄った楽器屋のでザ・ビューのファーストアルバムに出会った瞬間、「これこそ自分の音楽だ」と確信しました。そこからその周辺のバンドを調べるようになって、ザ・ストロークスやザ・リバティーンズに関するライナーをかじるように読んだり、ルーツを辿ったりして少しずつ聴く音楽の幅も広がっていきました。今ではどんな音楽も満遍なく、良いものは時代や地域に関係なく聴きたいと思っていますが、やはりゼロ年代のUKロックがアツかった時代にロックにのめり込めたのは、自分にとって凄く重要な時期になったと思います」

Shimonaka(gt)「僕は『セブンエイジズロック』という、ブルースとか色んな音楽を特集してるBBCの番組があって、そこでスウェードが『モラルに外れた曲をトップチャートに放り込んでやる』って言っているのを観て、『うあ~、かっこいい!』となって(笑)。そこからは自然な流れで、ポストパンク・リバイバルとかガレージロック・リバイバルを聴くようになりました」

Akiyama「あの番組はよかったね。僕も偶然親が録画してくれていて、高校時代にあの番組を見て1人ロックの情熱に燃えてました(笑)」

Shimonaka「大学で1番最初に秋山と話したのは、たぶんその話だったよね」

Kachi(ba)「ベースを教えてくれた人がとても音楽に詳しくて。その人が連れて行ってくれたCDショップの視聴機でザ・クークスを聴いて、このバンドかなり格好良いけどボーカルが少し好みじゃないと伝えたところ、『それだったらコレはどう?』と、ザ・ストロークスを教えてもらいました。60年代のバンドスタイルを今風に置き換えてるのがすごい新鮮で、あ、洋楽ってこんな良いんだって」

Kamoto(dr)「僕は兄と姉の影響で最初はエミネム、グリーンデイ、リンキン・パーク、ゼブラヘッドとかを小学生の高学年から中学生に聴いてました」

Akiyama「フルコースだね(笑)」

Kamoto「あるとき兄がアークティック・モンキーズのCDを貸してくれたんですけど、最初に聴いたときはこんな古くさい音楽聴いてらんねえやって思ってました(笑)でも何回か聴いてたらすごくいいなと思ってそれからはみんなが言ってるようなリバティーンズとかストロークスとかを聴くようになっていきましたね」

Akiyama「中学、高校くらいまでは何でも聴いてましたね、J-POPもJ-ROCKも洋楽もまとめて聴いてました。でも、当時ギターを手に入れて、さあいざ自分で音楽をやろうという時には、日本語の音楽は自分がやりたいものじゃないなと感じて。今でも日本語で好きな音楽は沢山ありますが、イルカとか中島みゆき、ザ・フォーク・クルセダーズみたいな古い音楽の方がしっくりきますね。その辺はすごく好きです。日本語がすごく綺麗で、海外の人が真似できないと思う音楽は、日本語でやる意味があると思うんですが、J-ROCKとかは聴いてると楽しげな雰囲気があっていいとは思うんだけど、なんか音楽というよりアトラクションっぽいっていうか。特に詩なんかも、ほとんど好きな詩が無い。自分にとっては、そういう音楽は作品としてあまり心に残りませんでした」

──感覚的に、自分たちがやりたいのは洋楽的な音楽だったと。海外での活動はいつくらいから意識してたんですか?

Akiyama「中学でバンドを始めた頃から、『絶対海外に行く』と思ってました。憧れていた音楽が向こうのものばかりだったので。高校生のときは、海外のレーベルに当時やっていた自分のバンドの音源をメールで送ったり、できるだけきっかけを作ろうと努力しました。機会さえ得られれば、海外にいつでも行けるようにしようと思っていたので。結局そのバンドでは夢叶わずでしたが、DYGLを始めた時も、当然その夢は自分の中で引き継がれていました」

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最終更新:5/12(金) 22:43

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