ここから本文です

初めて食べるのに懐かしい、原点のパン/緑と風のダーシェンカ

朝日新聞デジタル 5/12(金) 19:10配信

【このパンがすごい!】

 パンの原点。自家培養した種と薪窯で作るダーシェンカのパンを食べたとき、そんな言葉が脳裏に自然と浮かんだ。

【写真特集】まるでパンのテーマパーク

 店名と同じダーシェンカという名前のパン。2種のレーズンとクルミを入れ大きく焼いたもの。ナイフを入れると、カステラでも切ったようなしっとりしなやかな手応え。口に入れるとやさしい甘さのベールが味覚にかかった。どぶろくにも似た澄んだ発酵の香りをかき分け、ごくやわらかく、シルキーな舌触りの生地を噛(か)む。かすかな酸味、濃厚な発酵フレーバーがとろけ出す。その変化の豊かさと余韻の長さ。甘いと思えば酸っぱくまた甘いといったような味の万華鏡。ゆえに繊細な風味のあるオーガニックのレーズンやクルミと非凡な相性を見せる。

 ユニークな店舗だ。おとぎの国のように、三角屋根からにょきにょきと突き出した煙突。カフェやパン教室や薪窯を約20年かけて増築してできたパンのテーマパーク。

 オーナーの小倉喜八郎さんの前職は高校教師。ガンが転移し、瀕死(ひんし)の状態からカムバックを果たしたとき、無添加で安全な食材を使ったパン屋になろうと決意した。

 現在の製法は独学でたどりついた。みりん用の米を蒸し、麹(こうじ)菌をつける。温度や酸素の供給を管理しながら5日間で種を完成させる。もう一種、季節の種は米に変えて果物で作る。冬はリンゴ、秋はスタッフ全員で収穫したヤマ・ソービニオンというワイン用のブドウなど四季折々の果実を使う。私が訪れたときは無農薬のイチゴだった。種をなめさせてもらう。イチゴの楽しげな甘さが浮かんだと思うと甘酒のようなフレーバーが立ち現れる。酵母が発したであろうアルコールの濃密な風味とあいまって、まるで極上の甘酒を飲んだ感覚に陥った。

 これを国産小麦と混ぜ合わせて作る生地を、手づくりの薪窯で焼きあげる。ダーシェンカのパンにある口溶けやしっとり感は、石に巨大な熱を溜め込んでは吐き出す薪窯のたまものだ。

 麹の作りだす和の甘さが活きるのはあんぱん。もわんと沈み、歯切れるとぷりんと跳ね返る元気な生地。ほのかに酒種っぽい発酵フレーバーが香る生地とあんこはやはり相性がいい。オーガニックの小豆を使用した自家製のあんこは、甘さだけではなくコクや渋みまでも抱え込む。それが生地の奥行きと相まって深さを発揮、ラストノートが次々と訪れてやまない。

 プレミアムクリームパンの分厚い味わいに衝撃を受けた。ただでさえ濃厚なクリームに生地の小麦風味、発酵種のフレーバーが乗っかる。さわさわとした食感ながら風合いに満ちた生地がとろりどろり溶けてクリームと混じり合うとき、小麦とミルクと卵の滋味が混じりあう甘さの錬金術が巻き起こる。

 ベーグルのかつてない食感。やさしく、やわらかく沈み込み、歯を包む。しかし簡単には切れないしたたかさが噛む快楽を引き起こす。ゆっくり確実に溶けてとろりクリーム状になり、小麦と発酵種が混ざりあった豊かな甘さで口の中がいっぱいになっている。

 はじめて食べるのになつかしい。ダーシェンカのパンを反芻(はんすう)していて脳裏に浮上してきたのは、江戸時代に長崎で行われていたパンの製法を書き記した一文。それはまさに日本のパンの原点に関わるものだ。

「饂飩粉(うどんこ)一升を甘酒にて捏(こ)ねて(中略)、一夜置き申し候得ば、よく膨れ申し候」(『製菓集』1719年)

 パン種のことを「甘酒」と表現するのは、発酵に関する知識の乏しかった昔だからだろうと思っていたが、そんなことはない。まさにこのダーシェンカのパンが甘酒と小麦粉を合わせて作るパンではないか。食の安全が揺らぐいま、パンの原点は、むしろ私たちがたどりつくべき場所だろう。

    ◇
パンの魅力を探究する「パンラボ」主宰の池田浩明氏が日本各地でみつけた極上の味を紹介します。店舗の詳細は★印のついたリンクからご覧下さい。

(文・写真 池田浩明/朝日新聞デジタル「&w」)

朝日新聞社

最終更新:5/12(金) 19:10

朝日新聞デジタル